キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

セイラムの魔女裁判

セイラム魔女裁判では200人以上が魔女として告発された。

www.smithsonianmag.com

 

魔女裁判」というと、ヨーロッパにおけるカトリック教会の行い、と連想しがちなのですが、17世紀終盤、植民地時代のアメリカの、ピューリタン社会にも魔女裁判があったようです。

スミソニアン・マガジンの`A Brief History of the Salem Witch Trials`という記事から、Googleの翻訳機能による翻訳文を引用しましょう。

セイラム魔女裁判は、 1692年初頭から1693年半ばにかけて、植民地時代のマサチューセッツ州で行われました。200人以上が魔術、つまり悪魔の魔術を行ったとして告発され、20人が処刑されました。

ー略ー

1689年、イギリス国王ウィリアムとメアリーはアメリカ植民地でフランスとの戦争を開始しました。植民地の人々の間ではウィリアム王戦争として知られたこの戦争は、ニューヨーク州北部、ノバスコシア州ケベック州を荒廃させ、マサチューセッツ湾植民地のエセックス郡、特にセーラム村に難民を送り込みました。(セーラム村は現在のマサチューセッツ州ダンバースであり、植民地時代のセーラムタウンは現在のセーラムとなりました。)

移住した人々はセーラムの資源に負担をかけ、セーラム港の富にゆかりのある家々と、依然として農業に依存している家々との間の既存の対立を激化させた。また、1689年にセーラム村で初めて牧師に任命され、その厳格なやり方と貪欲な性格ですぐに評判を落としたサミュエル・パリス牧師をめぐる論争も勃発した。ピューリタンの村人たちは、こうした争いはすべて悪魔の仕業だと信じていた。

ー略ー

1693年5月までに、フィップスは魔女裁判で投獄されていたすべての人々を恩赦した。しかし、事態の悪化は既に始まっていた。19人の男女がギャロウズ・ヒルで絞首刑に処されたのだ。マーサの71歳の夫、ジャイルズ・コーリーは、裁判への服従を拒否したため、1692年9月に重い石で押し殺された。被告のうち少なくとも5人が獄死した。動物たちも集団ヒステリーの犠牲となり、アンドーヴァーとセーラム村の入植者たちは悪魔と関わりがあると信じられていた2匹の犬を殺した。

プロテスタント教会という教会は、カトリック教会に含まれる迷信的な要素を払拭し、脱却するために生まれた新しい教会だ、と言えると思うのですが、ジャン・カルヴァンの死後、ほんの一世紀あまり後であるにもかかわらず、プロテスタント精神のエッセンス、真髄であるピューリタン社会の中においてこのような不見識なことが起こるわけです。

宗教とは全て迷信なのです。プロテスタント教会の中には大きなバネがあって、常にカトリックのような強い迷信的状態に戻ろうとする力が働いているのではないか、というふうに思います。