キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

日本基督教団と戦争

 

ja.m.wikipedia.org

上記サイトから一部引用しましょう。

1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年4月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計124人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すことを求めた。[4]」 また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた[5]。

ホーリネス教団は日本基督教団第6部、第9部として日本基督教団に組み込まれていたのですが、表立って戦争に反対したので政府から弾圧されました。日本基督教団はこの弾圧に関して、

「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」

と述べたとあります。

 

ja.m.wikipedia.org

によれば、日本基督教団の戦争に対する態度としては、

 

伊勢神宮参拝
1942年1月11日、富田満統理は伊勢神宮に参拝して、天照大神に教団の設立を報告した。「富田統理は十日夜行にて出発し、鈴木総務局長を帯同して十一日朝、伊勢大廟に参拝せられた。而して我が国における新教団の発足を報告し、その今後における発展を希願せられた。」[6]

 

昭和天皇への拝謁
1942年11月26日、富田満統理は昭和天皇に拝謁した。

「畏くも天皇陛下におかせられては軍団多事の際、政務殊の外御多端に亘らせ給うにも拘らず、特別の思召をもって26日午前10時宮中において各教宗派官長、教団統理者に拝謁仰付けられた。」

富田満統理は、この日の光栄を次の如く謹話した。

「本日特別の思召を以って私共宗教団体の代表者に対し、拝謁を賜りましたことは、宗教界においては全くはじめての光栄でありまして宏大深遠なる聖慮の程洵に恐悦感激に堪えないところであります。申すまでもなく今日は大東亜戦争完遂のため、我国は総力を挙げてこれに邁進しているのでありますが、私共は特に宗教報国のために感奮興起して愈々一致協力祖国のため、大東亜共栄圏建設を目指して、凡ゆる時難を克服して行かねばならないと思います。この日の感激を銘記して超非常時局に當り、匪躬の誠を致して聖恩の万一に答え奉らんことを期せねばならないと存じます。」 [16]

 

軍用機献納
1943年11月25日-26日に日本基督教団第2回総会(創立総会からは3回目)が東京鷺宮日本東部神学校で開かれた。平松実馬が軍用機献納の決議案を提出し、教団総会は軍用機献納運動を決議する。「飛べ日本基督教団号」のスローガンのもと集められた献金により日本海軍に「報国3338 第一日本基督教団號」「報国3339 第二日本基督教団號 九九艦爆」を、日本陸軍に「愛国第三三三一 日本基督教団第一」「愛国第三三三二 日本基督教団第二」の四機の軍用機を献納した。また金城女子専門学校は日本基督教団の求めにより、海軍に「報国2629 金城女専号」を、陸軍に3万円を献納した[17]。

などとあります。日本基督教団は、天皇に拝謁し、伊勢の神宮に参拝し、帝国軍に戦闘機を奉納した、とありますが、戦時下におけるキリスト教の団体としてそれは正しかったのか、なかったのか、一言で断じてしまうことは難しいのかもしれませんが、一方で、投獄されても戦争に反対し続けた、ホーリネス、灯台社(ものみの塔)、耶蘇基督之新約教会、安息日再臨教団などがあったことを知るべきかもしれません。ものみの塔を「異端」などと言ってバカにしている伊勢神宮遥拝歴のある系の教団信徒の皆さんは、爪のアカでも頂いたほうがよろしいのでは(笑)。

牧師が説教で信徒に万引きを教唆

 映画「万引家族」はご覧になったでしょうか。僕はアマゾンプライムで観ました。衝撃的な内容でしたよね。でも、決して万引きを奨励するような映画ではなかったとおもうのですが、

次のデイリー・メールオンラインの記事をご覧ください。

www.dailymail.co.uk

英国国教会の司祭が信者に「強盗や売春をするよりは万引きを行え」とそそのかした、とあります。びっくりですよね。

Googleによる訳文で引用してみましょう。

ティム・ジョーンズ牧師は日曜日の説教で、成功した店から盗むことは強盗、強盗、売春よりも好ましいと述べました。

彼は教区民に、「あなたは盗んではならない」という第8の戒めを破ることはないだろうと語った。

強盗と売春はいけないのに、どうして万引きはいいんでしょうね。

進化論と同性愛の関係

emajapan.org

NPO法人EMA のサイトから、上に引用したQAをみてみましょう。

 

Q. なぜ同性愛者が存在するのですか


A. 同性愛は遺伝的なものであるという説が知られていますが、他の説も存在しており、解明されていません。進化論の立場から言うと、同性愛者は子孫を残さないため、ダーウィンの言うように自然淘汰され、生き残ることができないはずです。しかし、国や時代を問わず、同性愛そのものは一般的に見られます。

 

同性愛というジェンダーが実在する、という現実は進化論と相容れない、と説明されていますね。

興味深い話だと思います。進化論を前提にするのであれば、生命の保存のためにジェンダーは単純化されるはずであるのに、現実的には異性愛の他に、同性愛、両性愛、性と身体の不一致など、様々なジェンダーが実在します。

キリスト教原理主義者と呼ばれている人達にとって、進化論は天敵ですので、この研究は今後丁度よい反進化論を証するためのツールになるのではないでしょうか。

あ、でも、原理主義者にとってジェンダー異性愛の男と女しかないはずなのですよね。それは残念でした。進化論には反対したいけど、そのことを証明しようとすると、聖書に記述されていないジェンダーが実在することを認めなくてはならなくなってしまってまずいですよね。

この際、キリスト教に振り回されるのをやめてしまうのが一番賢明だとおもいますよ。

ロシア正教総主教がウクライナ侵攻を祝福

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jp.reuters.com

ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えた、というロイターの報道がありました。記事を見てみましょう。

 

バチカン市 14日 ロイター] - ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えたことで、世界中の正教会は分裂の危機に陥り、専門家から見ても前代未聞の反乱が正教会内部で生じている。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の盟友であるキリル総主教(75)は、今回の戦争について、同性愛の受容を中心に退廃的であると同師が見なす西側諸国への対抗手段であると考えている。

キリル総主教とプーチン大統領を結びつけるのは、「ルースキー・ミール」(ロシア的世界)というビジョンだ。専門家の説明によれば、「ルースキー・ミール」とは、旧ソ連領の一部だった地域を対象とする領土拡張と精神的な連帯を結びつける構想だという。

ご存知の通り、ロシアには「ロシア正教」があり、ウクライナには「ウクライナ正教」があります。スラブ民族への正教伝道は、ギリシャ人キュロリスによって、まずウクライナへおこなわれた、ということになっているのですから、ウクライナの教会はロシアよりも先輩だといえるわけです。

その、ウクライナへの侵攻を、ロシアの総主教が「善いことである」と褒め称えて神の同意を証言したというのですから驚きです。

しかし、よく考えてみればおかしな話です。ウクライナ正教の神はロシア正教の神と同じ神であるはずです。同じキリスト教であるばかりではなく、教派も同じであれば、教義も全く同じであるはずです。

神はどういう立場なのでしょうか。ロシアに味方するのか、ウクライナにか、どちらなのでしょうか。

また、キリル総主教は神による正義を正しく認識し反映しているのかいないのか、ロシアが正しいのかウクライナか、あるいはどっちもどっちなのか、どうなのでしょうか。

報道で現地の映像を見ますと、攻撃で荒れ果てた市街地に、教会だけがきれいに残っているような様子を目にする場合がありますが、ロシア兵が迷信深いからか、ロシア軍の方針なのか、どうなのでしょうね。

それにしても、キリスト教って戦争と親和性があるよね、ということだけはよく理解することができるようです(笑)。

姦淫と目

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mag.japaaan.com

上に張ったリンクは、かつて東京に存在した吉原遊廓に関する情報を伝えるサイトのものです。このような性を売る商業は、日本に限らず世界中に存在するものでした。ほとんどは、男性が女性を性商品として捉えることにより、発生、存続する商行為であったわけですが、このような男性の性質について、イエス様は次のように言われました。

マタイによる福音書 5:27-30

『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。 

しかし、情欲をいだいて女(性の対象)を見たことのない人は、おそらく一人もいないのではないでしょうか。異性(性の対象)である以上、その人を見ることは、多少であれ、性的な関心を伴わずにはいられないはずです。

これは無理な話です。イエス様はなぜこんな無理なことを要求したのでしょうか。

おそらく、この箇所も説明が十分ではないのでしょう。イエス様は、「情欲だけで女を見る者は」といいたかったのです。女性を性の玩具のようにしか理解できないものは、ということです。

女性であれ、男性であれ、まずは人間です。人間としての価値を尊重し、互いに尊敬し合うことの大切さを理解する、このことが大切なのだよ、と教えているわけです。

つまり、男女は同権であって、女性を性差別することは良くないことである、と言っているのです。どれぐらい良くないのかというと、目を抜き出して捨ててしまわなければならないほどだ、ということです。

荒らしコメント

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先日、当ブログに荒らしコメントが投入されました。上記に貼った画像もその一つですが、合計20件ほどの書き込みがあったと思います。

もちろん、当ブログは反対意見に対してもきちんと向き合って行くつもりで運営しているのですが、程度の低い罵詈雑言は良くないと思います。良識ある読者の皆様に不快な思いをさせてしまいますことも不本意なことですので、すべて削除しました。

ただ、まあこういことがありましたよ、ということで、あと一つご紹介しておこうと思います。

記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

に対して投入されたコメントです。

    

zibituenba
id:zibituenba

なにをいっているかわからないが
その理屈で言うと一神教は存在しないことになる

一神教は元々、神と多くの霊的存在を認める宗教のことであって
それ以外ではない

あなたが言っているような一神教の定義じたいが現実的には誤りということになる

あなたの言っていることは基本的に滅茶苦茶だ

本当に宗教というものを理解していますか?

一神教とは元々、複数の霊的超越者を認める宗教のことですよ?

単に神が唯一であるといっているだけです

そしてキリスト教は言うまでもなく二元論ですが?

二元論と一神教は大抵セットですけど?

キリスト教善悪二元論ですけど?

二元論であることと一神教であることは
なんら矛盾しません

善の方が上であり、最終的に善が勝つのであるならね

 

こちらからは何ともコメントのしようがないのですが、とりあえず大声で罵っておけば怯むだろう、的な幼稚さしか伝わってくるものがありません。典型的なハラスメント気質が見て取れます。

こういう人は、自分と全く同じ理解、同じ考え、同じ意見の人でなければ憎むのでしょう。「今日も神様に感謝です。アーメン。今日のありがたい聖句の箇所は云々」みたいなクソ記事でなければ気に入らないのいです。

それにしても、

キリスト教は言うまでもなく二元論です」

とは知りませんでした(笑)。

 

◉お願い◉

しばらくの間、ブログへのコメントとブログサークルのコメントは入力できない状態にさせていただきます。見えなくなりますが、過去にいただいたすべてのコメントを削除するわけではありません。見えなくなるだけです。

ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い致します。

毒麦のたとえばなし

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None Lost | A Sacred Space

マタイの福音書に「毒麦のたとえ」と呼ばれるたとえばなしがあります。見てみましょう。

マタイの福音書 13:24-30

天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』

そして、このあとの箇所で、イエス様は弟子の求めに応じてこのたとえ話の説明を行っています。見てみましょう。

マタイの福音書 13:36-40

それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。

お気づきでしょうか、イエス様はご自分が語られたたとえ話の内容について、説明を行わなかった部分があります。収穫まで待ってから、毒麦を麦と分けるべきであるところの説明が十分とは思えない点がそれです。

ネットで検索してみますと、この意味は、成長前の毒麦は、麦との見分けがつきにくいからだ、と説明するものが多く見つかりますが、おそらくそうではないでしょう。このたとえは、実を結んだ後のことを言っているのですから、成長前の状態は関係ありません。毒麦は、はっきりと麦と区別して認識することができたはずです。できたから、下僕は『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』と言ったのです。

この意味は、犯罪者と見られるものがいても、短絡的に断罪してしまうな、ということを言っているのです。『悪者は最終的に捕らえられて断罪される』というような、いわば当たり前のことを、わざわざたとえばなしに仕立てたうえ説諭しなければならないことかどうか、ということですよね。このたとえばなしでもっとも言いたかったことがらは、説明を求められても説明を行わなかった、この点にこそあるのではないかと思います。

悪者だと直感しても、ちょっと待て、というわけです。それが良い麦でないと言い切れるのか、お前たちの判断だけが正しいと言えるのか、ということです。

実際には、毒麦が良い麦に変化することはありえないことなのでしょうが、イエス様の価値観によれば、毒麦たる悪人であっても、良い麦たる義人に変化し得る、ということなのでしょう。

キリスト教と言えば、意に添わない人物を断罪すること、他の教派や他の宗教に属する人を、異端、とか異教徒、などと蔑んで排斥することを楽しみにしているような人ばかりにみえるのですが、注意して福音書を読めば、イエス様の本意はそういうことではなかった、ということがわかります。