クーリエ・ジャポンのサイトに、『個人崇拝になっている現状を憂う
カトリックで最もリベラルな神学者がいまこそ訴える「教皇制廃止論」』という記事があります。有料の記事なのですが、無料記事の部分から、要点と思われる箇所を引用してみましょう。
教皇は選出されたその日から神聖視され、地上におけるキリストの代理者となります。カトリックの信者は、子供の頃から「教皇崇拝」を教え込まれます。
シノドスと呼ばれる司教たちの会議は、あくまでも助言機関にとどまるので、教皇は自らの一存で議論の裁定ができてしまうのです。
2019年、アマゾン周辺地域のためのシノドスが開かれ、過半数の司教が、司祭の数が足りていないこの広大な地域に限って、既婚男性の叙階を可能にすべきだと提言しました。しかし、教皇フランシスコは、その提言を受け入れませんでした。
2023~24年に開催されたシノダリティ(教会組織の構造)に関するシノドスでは、ドイツの司教団から、一般信徒や女性の教会における地位について提言がありましたが、教皇フランシスコはそれも無視しました。
要するに、教皇制度は、カトリック教会の改革を妨げる要因になっているのです。それゆえ、教皇制度の改革、あるいはその廃止が急務となっています。
フィリピン人の友人がいますが、彼は教皇のことを「神様のような偉いおじいさん」と表現します。この感覚がすべてのカトリック信者に共通では無いだろうとは思いますが、この記事にある「個人崇拝になっている」という表現も、あながち大げさではないのでは、という気もします。