キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

「高価で尊い」は間違い

stmarymysticalrose.org

SNSを見ていますと、イザヤ書を引用して、

私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。(イザヤ43:4)

と書き込まれることが結構あります。しかし、それを目にする度に違和感を覚えます。人が高価とはどういう意味なんでしょうか。

口語訳聖書の該当箇所にはこうあります。

あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、
わたしはあなたを愛するがゆえに、
あなたの代りに人を与え、
あなたの命の代りに民を与える。

念のため、KJVの該当箇所も参照しておきましょう。

Since thou wast precious in my sight, thou hast been honourable, and I have loved thee: therefore will I give men for thee, and people for thy life.

どちらにも「高価」という言葉はでてきません。値段が高いといいたいのであれば、high price とか、expensive とかいう言葉があってしかるべきですが、ありません。

precious という言葉に「貴重な」と言う意味はありますが、価が、という限定の意味は含まれていないのです。

イザヤ書のこの箇所が何を言っているのかといいますと、「イスラエル(神と喧嘩するもの)」と名を改められたヤコブアブラハムの孫であり、イサクの子であるヤコブイスラエル十二部族の祖である十二人の子息たちの親であり、イスラエル神権国家の祖である、特別な恩寵を享受したものである、と言っているわけであって、値段が高いとか安いとかを言っているわけではありません。

また、ヤコブが貴重な存在だと説明しているからといって、読者全般を同じように評価しているわけではないと思います。

どの訳の聖書に「高価」という言葉が使われているのかわからないのですが、SNSでよく目にするということは、実際にそう訳している聖書が存在するということなのでしょう。

しかし、よく考えてほしいと思います。そんな箇所にそんな言葉がでてくるのは自然かどうかということをです。お見受けしたところ、聖書には「どのような単語が」出現するのか、ということが興味の全てであるような人がほとんどのようです。

献金機になりたい、というのであればそれでもかまわないのでしょうけど。

比叡山延暦寺と日蓮聖人

discoverjapan-web.com

比叡山延暦寺日蓮聖人、といいますと特に関係ないのでは、と思われるかもしれないのですが、上記のサイトの記事を読んでみますと、

大講堂には比叡山で修行した各宗派の祖師像が厳かに鎮座する。
右から、釈迦が説いた法華経を根本経典とした日蓮聖人(日蓮宗の開祖)、禅宗に帰した道元禅師(日本曹洞宗の開祖)と栄西禅師(日本臨済宗の開祖)、後に大津市園城寺三井寺)を総本山とした天台寺門宗の智證大師 (天台寺門宗の開祖)。

とあって、日蓮聖人などの他宗の祖師たちが比叡山に学んだ天台学僧であったことを忘れずに、比叡山の東塔にある大講堂内に木像を祀って記念し続けていることがわかります。

また、次のサイトによれば、

ja.m.wikipedia.org

比叡山の横川にある定光院という寺院は、天台宗の寺院でありながら、日蓮聖人が天台教学を学んだ地であることから、その管理を日蓮宗徒が行っている、ということを知ることができます。

仏教は、宗派の別にそれぞれであろうとも、目的は同じ一つであって、方法が違うだけである、と理解するわけです。たとえ自派から分離した宗派であっても、それが悪いことであるとは考えません。

奈良仏教と真言宗以外の、ほとんどの宗派は、天台宗から派生したものであると言えるでしょう。

 

では、キリスト教の場合はどうでしょうか。バチカンのサン・ピエトロには、ツヴィングリやルター、カルバンなどを記念する像があるでしょうか。

いまさら言うまでもなく、むしろ逆であることはご存知の通りでしょう。実際には反目し合ったり、争いの元になったりしているというところが現実です。

 

あまり正しい比較とは言えないであろうことはよくわかっているのですが、もしも、この仏教的な考え方がキリスト教にあったらどうであっただろうか、と思うこともあります。

 

 

日本人は宗教に無関心なのか

www.kobe-np.co.jp

日本は、宗教に無関心な国、と評されているようですが、本当にそうなのでしょうか。日本にはたくさんの寺院や神社がありますが、参拝者不足で潰れるところが多い、というような話を聞かないところをみると、さほど無関心とも言えないのではないか、とも思えます。

日本には、仏教が伝えられるまでは、現在の神道の元になったであろうところの自然崇拝的な宗教があったでしょう。仏教が伝えられると、古来あった神道との習合が行われて、日本独自の仏教型の宗教が形作られて行くわけです。明治になって神道と仏教が分離されるまでの間、神仏は習合した状態で伝えられていました。現在でも、上に引用したサイトの記事にあるように、仏教寺院の内陣に鳥居があったりして、習合の名残をみることができます。

日本人の宗教観は、出生、結婚など、おめでたいことであれば神社で、不幸なことはお寺で、正月の祝いは両者関係なく行います。くわえてクリスマスには教会へ赴き、さらに、ハロウィンにはケルト人の宗教的習慣を遊びに取り入れて楽しんでいる様子も伺えます。

しかし、神社での拝礼の行い方は二礼二拍手一礼、などと、一体何回同じような番組作るんだ、と思うほど繰り返してテレビでやってますね。

実際、僕の友人にも、参拝に行って賽銭を上げた後、寺か神社かどっちかいな、手は打つのか打たんのか、などとBokeたことを言うひとがいます。

無関心といいますが、僕は、宗教観の完成された状態だと言って良いのではないかと思います。一つの思想に偏らず、都合によって適した様式によって世間付き合いの礼に用いるのです。宗教は振り回されるものではなくて利用するもの、道具なのです。

神も仏もない、などともいいますが、あればとうの昔に君臨しているはずだと嗤うのが日本人でもあるようです。

日本人の宗教観は、このように、世界で最も賢明で完成された状態なのだといえるでしょう。

 

日本基督教団と戦争

 

ja.m.wikipedia.org

上記サイトから一部引用しましょう。

1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年4月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計124人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すことを求めた。[4]」 また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた[5]。

ホーリネス教団は日本基督教団第6部、第9部として日本基督教団に組み込まれていたのですが、表立って戦争に反対したので政府から弾圧されました。日本基督教団はこの弾圧に関して、

「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」

と述べたとあります。

 

ja.m.wikipedia.org

によれば、日本基督教団の戦争に対する態度としては、

 

伊勢神宮参拝
1942年1月11日、富田満統理は伊勢神宮に参拝して、天照大神に教団の設立を報告した。「富田統理は十日夜行にて出発し、鈴木総務局長を帯同して十一日朝、伊勢大廟に参拝せられた。而して我が国における新教団の発足を報告し、その今後における発展を希願せられた。」[6]

 

昭和天皇への拝謁
1942年11月26日、富田満統理は昭和天皇に拝謁した。

「畏くも天皇陛下におかせられては軍団多事の際、政務殊の外御多端に亘らせ給うにも拘らず、特別の思召をもって26日午前10時宮中において各教宗派官長、教団統理者に拝謁仰付けられた。」

富田満統理は、この日の光栄を次の如く謹話した。

「本日特別の思召を以って私共宗教団体の代表者に対し、拝謁を賜りましたことは、宗教界においては全くはじめての光栄でありまして宏大深遠なる聖慮の程洵に恐悦感激に堪えないところであります。申すまでもなく今日は大東亜戦争完遂のため、我国は総力を挙げてこれに邁進しているのでありますが、私共は特に宗教報国のために感奮興起して愈々一致協力祖国のため、大東亜共栄圏建設を目指して、凡ゆる時難を克服して行かねばならないと思います。この日の感激を銘記して超非常時局に當り、匪躬の誠を致して聖恩の万一に答え奉らんことを期せねばならないと存じます。」 [16]

 

軍用機献納
1943年11月25日-26日に日本基督教団第2回総会(創立総会からは3回目)が東京鷺宮日本東部神学校で開かれた。平松実馬が軍用機献納の決議案を提出し、教団総会は軍用機献納運動を決議する。「飛べ日本基督教団号」のスローガンのもと集められた献金により日本海軍に「報国3338 第一日本基督教団號」「報国3339 第二日本基督教団號 九九艦爆」を、日本陸軍に「愛国第三三三一 日本基督教団第一」「愛国第三三三二 日本基督教団第二」の四機の軍用機を献納した。また金城女子専門学校は日本基督教団の求めにより、海軍に「報国2629 金城女専号」を、陸軍に3万円を献納した[17]。

などとあります。日本基督教団は、天皇に拝謁し、伊勢の神宮に参拝し、帝国軍に戦闘機を奉納した、とありますが、戦時下におけるキリスト教の団体としてそれは正しかったのか、なかったのか、一言で断じてしまうことは難しいのかもしれませんが、一方で、投獄されても戦争に反対し続けた、ホーリネス、灯台社(ものみの塔)、耶蘇基督之新約教会、安息日再臨教団などがあったことを知るべきかもしれません。ものみの塔を「異端」などと言ってバカにしている伊勢神宮遥拝歴のある系の教団信徒の皆さんは、爪のアカでも頂いたほうがよろしいのでは(笑)。

牧師が説教で信徒に万引きを教唆

 映画「万引家族」はご覧になったでしょうか。僕はアマゾンプライムで観ました。衝撃的な内容でしたよね。でも、決して万引きを奨励するような映画ではなかったとおもうのですが、

次のデイリー・メールオンラインの記事をご覧ください。

www.dailymail.co.uk

英国国教会の司祭が信者に「強盗や売春をするよりは万引きを行え」とそそのかした、とあります。びっくりですよね。

Googleによる訳文で引用してみましょう。

ティム・ジョーンズ牧師は日曜日の説教で、成功した店から盗むことは強盗、強盗、売春よりも好ましいと述べました。

彼は教区民に、「あなたは盗んではならない」という第8の戒めを破ることはないだろうと語った。

強盗と売春はいけないのに、どうして万引きはいいんでしょうね。

進化論と同性愛の関係

emajapan.org

NPO法人EMA のサイトから、上に引用したQAをみてみましょう。

 

Q. なぜ同性愛者が存在するのですか


A. 同性愛は遺伝的なものであるという説が知られていますが、他の説も存在しており、解明されていません。進化論の立場から言うと、同性愛者は子孫を残さないため、ダーウィンの言うように自然淘汰され、生き残ることができないはずです。しかし、国や時代を問わず、同性愛そのものは一般的に見られます。

 

同性愛というジェンダーが実在する、という現実は進化論と相容れない、と説明されていますね。

興味深い話だと思います。進化論を前提にするのであれば、生命の保存のためにジェンダーは単純化されるはずであるのに、現実的には異性愛の他に、同性愛、両性愛、性と身体の不一致など、様々なジェンダーが実在します。

キリスト教原理主義者と呼ばれている人達にとって、進化論は天敵ですので、この研究は今後丁度よい反進化論を証するためのツールになるのではないでしょうか。

あ、でも、原理主義者にとってジェンダー異性愛の男と女しかないはずなのですよね。それは残念でした。進化論には反対したいけど、そのことを証明しようとすると、聖書に記述されていないジェンダーが実在することを認めなくてはならなくなってしまってまずいですよね。

この際、キリスト教に振り回されるのをやめてしまうのが一番賢明だとおもいますよ。

ロシア正教総主教がウクライナ侵攻を祝福

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jp.reuters.com

ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えた、というロイターの報道がありました。記事を見てみましょう。

 

バチカン市 14日 ロイター] - ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻に高らかな祝福を与えたことで、世界中の正教会は分裂の危機に陥り、専門家から見ても前代未聞の反乱が正教会内部で生じている。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の盟友であるキリル総主教(75)は、今回の戦争について、同性愛の受容を中心に退廃的であると同師が見なす西側諸国への対抗手段であると考えている。

キリル総主教とプーチン大統領を結びつけるのは、「ルースキー・ミール」(ロシア的世界)というビジョンだ。専門家の説明によれば、「ルースキー・ミール」とは、旧ソ連領の一部だった地域を対象とする領土拡張と精神的な連帯を結びつける構想だという。

ご存知の通り、ロシアには「ロシア正教」があり、ウクライナには「ウクライナ正教」があります。スラブ民族への正教伝道は、ギリシャ人キュロリスによって、まずウクライナへおこなわれた、ということになっているのですから、ウクライナの教会はロシアよりも先輩だといえるわけです。

その、ウクライナへの侵攻を、ロシアの総主教が「善いことである」と褒め称えて神の同意を証言したというのですから驚きです。

しかし、よく考えてみればおかしな話です。ウクライナ正教の神はロシア正教の神と同じ神であるはずです。同じキリスト教であるばかりではなく、教派も同じであれば、教義も全く同じであるはずです。

神はどういう立場なのでしょうか。ロシアに味方するのか、ウクライナにか、どちらなのでしょうか。

また、キリル総主教は神による正義を正しく認識し反映しているのかいないのか、ロシアが正しいのかウクライナか、あるいはどっちもどっちなのか、どうなのでしょうか。

報道で現地の映像を見ますと、攻撃で荒れ果てた市街地に、教会だけがきれいに残っているような様子を目にする場合がありますが、ロシア兵が迷信深いからか、ロシア軍の方針なのか、どうなのでしょうね。

それにしても、キリスト教って戦争と親和性があるよね、ということだけはよく理解することができるようです(笑)。