キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

ミサと聖体礼儀

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カトリック教会の聖餐式はミサ、正教会聖餐式は聖体礼儀と言います。これは皆さんよくご存知かと思います。プロテスタント信徒であっても、一度はそれらの礼拝式に参加した、あるいは見学した、という方がおられるかもしれませんね。

下記の二つのYoutube動画を御覧ください。上はカトリックのミサ、下はロシア正教会の聖体礼儀を記録したものですが、いずれも司教、主教が司式する、特に大掛かりで荘厳な儀式の模様です。

 

Solemn Pontifical Mass

 

youtu.be

Divine Liturgy in St. Niholas Russian Orthodox

 

いかがでしょうか。僕には、カトリックのミサは、正教会の聖体礼儀に比べて、なにか、空々しいというか、他人事というか、心がこもっていなくて、こんなことをするのは不本意だが、仕事だから仕方なくマニュアル通りに行っているだけだ、というように見えてしまいます。

一方、正教会の聖体礼儀を見ますと、この人達は、実に神を見ているんだな、と思わせられます。精神性が深いのでしょう。また、今行っていることに対する具体的な意味、必要性を自覚できているように感じます。

常にローマ帝国とともにあった正教会は、現在でも、存在の大きな理由として、属する国家の指導者と国民の平安を神に祈念するため、があるでしょう。正教会の聖歌には、次のような祈祷文があることを確認できます。

(省略)

輔:我が国の天皇および国を司る者の為に主に祈らん。
詠:主憐れめよ。
輔:この都邑(まち)と凡その都邑と地方、及び信を以て此の中に居る者の為に主に祈らん。
詠:主憐れめよ。
輔:気候順和、五穀豊穣、天下泰平の為に主に祈らん。
詠:主憐れめよ。
輔:航海する者、旅行する者、病を患(うれ)うる者、艱難に遭う者、虜となりし者、及び彼等の救いの為に主に祈らん。
詠:主憐れめよ。

(省略)

ただひたすらに教会そのものが発展することだけを目的にして巨大化した西方の教会とは一味違うのだ、というところを感じとることができる、と言えるでしょう。

国家や帝王の安寧を願うことはキリスト教として本質的といえるのかどうか、という問題はあるのかもしれませんが、魔女裁判を行って、自らの信徒輩を侮辱したり殺したりするような教会よりは、少しマシと言えるのかもしれません。