ローマのサンピエトロ教会、カトリックの総本山です。荘厳で美しいですね。ところで、皆さんは、プロテスタント教会も主日の礼拝で「カトリック教会を信じている」と唱えているのですが、何のことかおわかりでしょうか。
日本キリスト教団の信仰告白のページから使徒信条を引用してみましょう。
我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。
同じページにある英文から「聖なる公同の教会」に該当する部分を読み出してみますと、「the holy catholic Church」であることがわかります。
次に、wikiの「カトリコス」というページから引用してみましょう。
カトリコス(ギリシア語: Καθολικος, ロシア語: Католикос, 英語: Catholicos)は、東方教会(正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会)における主教(司教)の位の一つ。
"Καθολικος"(古典再建音一例: カトリコス、現代ギリシア語転写一例: カソリコス)は、新約聖書時代のギリシア語でも現代ギリシア語でも「一般的な」といった意味をもつ形容詞でもあり[1][2]、さらには公同の教会に言及する際などにも用いられる語彙であるが、本項では東方教会における職位を扱う。
しかしながら、使徒信条にある「カトリック」も、正教会に存在する「カトリコス主教位」も、ローマ・カトリック教会を意識しているわけでは全くありません。英文の信条で「catholic」と小文字から始まっていることからもわかる通り「公同な」を意味する純粋な形容詞なのです。
個人的には、ローマ・カトリック教会は、「西方正教会」と称するべきだったのではないかと思います。しかし、正教会の中の一つ、という理解に収まってしまいたくなかった彼らは、信条にある「公同の教会」とは我々のことである、として、「カトリック教会」を僭称してしまったのだ、ということなのです。
ローマ・カトリック教会の古い言い方で「天主公教」がありますが、これも「公同」の公を表しているのだと思います。また、「聖公会」や、京都に建てられた最初のプロテスタント教会である「京都公会」も同じでしょう。ローマ・カトリック以外のプロテスタント教会であっても、自らが「公同の」教会であることを表明しているようです。
プロテスタントの皆さんは、「カトリック(公同の)教会を信ず」と唱えるからと言って、ローマ・カトリックを信じている、と言わされているわけではありませんので安心して下さい。「カトリック(公同の)」という形容詞は、キリスト教会を表す性質の一つなのです。
ところで「公同の教会」とはどのような意味か、と考えてみたことはあるでしょうか。これは、教会学校の先生や牧師に聞いても正しい答えを得られないのではないかと思います。プロテスタントから見ると、実現し得ない空想でしかないからです。
「公同の教会」とは、一つの神を礼拝する、信条、教義、教役組織、説教内容、建造物の内外観、礼拝と聖歌の様式がそれぞれ同じ範疇にある組織、という意味です。ですから、同じであることを拒んで正教会コミュニオンから逸脱したローマ・カトリック教会とプロテスタント教会が「聖なる公同の教会を信ず」と唱えることは虚しいことなのであって、そう唱えてもおかしくないのは正教会だけだ、と言えるのではないかと思います。