上記はwebムーというサイトに掲載された「ミサの最中に「聖体が増殖」! キリスト教史に残る奇跡は神の意思か、妖怪変化の仕業か?」という記事です。ムーも、とうとうキリスト教の奇跡にまで手を出し始めたか、という印象です。特に深い意味はないのですがw
引用してみましょう。
ミサの最中の異変に神父が歓喜
米大手放送局CBSをはじめとする報道によると、今月5日(日)に米コネチカット州リッチフィールド郡トマストンにあるカトリックの聖トーマス教会で行われていたミサの最中、「聖体の奇跡」と呼ばれる奇跡的な現象が確認された。一部始終を目の当たりにしたジョセフ・クロウリー神父が、ミサ終了直後に「先程、“何か”が起きました……」と、集まった信徒に向けて語りはじめると、あまりの衝撃に誰もが言葉を失ったという。
終わったばかりのミサの最中、いったい何が起きていたのか?
神父によると、それはミサも終盤に近づいた聖体拝領の時だった。聖体拝領とは、信徒一人ひとりが順番に、聖体(キリストの身体を表すパンのこと。実際に用いられるのは丸いウエハースのようなもの)を神父から直接に(口もしくは手で)拝領する儀式のこと。
その途中、神父と他の聖職者は聖体が足りなくなることに気づいた。ミサの参加者が予想よりも多かったのだ。しかし、驚くべきことに、容器を見ると、「聖体がひとりでにどんどん増えていき、やがて最初に用意していた量よりも多くなっていた」という!
神父は感激のあまり胸が一杯になり、打ち震えながらも儀式を続け、終わったところで全てを明かしたのだ。「説得力に満ち、あまりにも素晴らしい、現実的かつ驚くべき出来事が起こったのです。今日、本当に起こったのです」(クロウリー神父)
実は、聖体に関する奇跡はキリスト教の歴史において約150件しか起きていない極めて珍しいもの。他には、パンが血のように赤く染まった事例などが報告されているが、全てが奇跡と認定されたわけではなく、色付いた原因が菌によるものと発覚して認められなかった事例もある。
過去の記事、
christian-unabridged-dict.hatenablog.com
でも、奇跡について触れたのですが、今回取り上げた記事についても同じことです。ローマカトリックの司祭の手によって、カトリック信者に対し、カトリック的な奇跡が示されたからといって、いったいどのような教訓や意味があるというのでしょうか。
例えばガザにキリストが現れて、神の権能を示して戦争を終わらしめた、とでもいうのであれば充分に奇跡と認められてその価値や意味も納得させられるものがあるかもしれません。しかし今回のこの事例のように、目を細めて見て、本当にそれは奇跡なのかどうかと考えなければいけない、神父さんの勘違いじゃないの、と疑わなくてはならないようなことが、それがたとえ本当であったとしても、果してそれでどういう実質的な示唆があるのだろうか、と考え込んでしまわなければいけないようなことが奇跡と言えるのかどうかということです。