キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

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ラハブ

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旧約聖書では、モーセ五書のつぎにヨシュア記が配されています。四十年にわたる出エジプトの旅の終わりに、イスラエルの民がエリコから約束の地であるカナンに入る際の出来事が記されているのですが、ヨシュア記 - Wikipedia には、

1952年から1957年まで、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している[3]。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2~7章の物語が)創作されたと考えられる[4]。また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる[5] 

とも説明されていて、少なくとも全てが史実であるとは考えにくいようです。また、

ヨシュアヨシュアヘブライ語ספר יהושע)は、聖書の書物である。

そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人カナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類される。

とある通り、血腥い殺戮の物語が綴られているわけですが、「ラハブ」という女性に関する印象深いエピソードが含まれています。

ヨシュア記の冒頭で、このラハブについて記述されているのですが、一部引用してみましょう。

ヨシュア記 第二章

 一ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、二エリコの王に、「イスラエルの人々のうちの数名の者が今夜この地を探るために、はいってきました」と言う者があったので、三エリコの王は人をやってラハブに言った、「あなたの所にきて、あなたの家にはいった人々をここへ出しなさい。彼らはこの国のすべてを探るためにきたのです」。四しかし、女はすでにそのふたりの人を入れて彼らを隠していた。そして彼女は言った、「確かにその人々はわたしの所にきました。しかし、わたしはその人々がどこからきたのか知りませんでしたが、五たそがれ時、門の閉じるころに、その人々は出て行きました。どこへ行ったのかわたしは知りません。急いであとを追いなさい。追いつけるでしょう」。六その実、彼女はすでに彼らを連れて屋根にのぼり、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に彼らを隠していたのである。

日本聖書協会. 口語訳(旧約聖書新約聖書)+文語訳(旧約聖書新約聖書) (p.836). SakiSyuppan. Kindle 版. 

彼女のこの行いによって結果的に、エリコはイスラエルによって陥落したのだ、ということになります。つまり彼女は、異教徒であり、女性、しかも娼婦でありながら、イスラエルに神の恵みを仲介した功労者として、王や預言者に比肩するもの、メシアの一人として扱われて、イスラエル正史の中の一巻であるヨシュア記に、その名を刻み留められることになったのだ、と言えるわけです。聖書は徹頭徹尾選民至上主義で塗り固められているわけではない、ということを知ることができるエピソードだと思います。

新約聖書のマタイ福音書にもラハブの名が出現します。引用してみましょう。

マタイによる福音書 第一章

四アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、五サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、六エッサイはダビデ王の父であった。

日本聖書協会. 口語訳(旧約聖書新約聖書)+文語訳(旧約聖書新約聖書) (p.3444). SakiSyuppan. Kindle 版. 

次に、 ラハブ - Wikipedia から引用します。

言語学と文献学に基づき一部の学者は、ヨシュア記に記されているラハブはイエスの系譜にあるラハブとは別人物であるという学説を唱えている。ユダヤの伝承は、エリコのラハブはヨセフ (ヤコブの子)の子孫、ヨシュア・ビン・ヌンと結婚したとしている。エリコのラハブがイスラエルの二つの部族の二人の男性と二回結婚していない限り、これは彼女がマタイ伝にある系譜のラハブと同人物であることへの一つの問題提起になりうる。この説は可能であるが、実にもっともらしいというわけでもない。なぜならヨシュアに嫁いだラハブはフルダ、エレミヤエゼキエルなどの預言者の先祖であり、 サルモンに嫁いだラハブはダビデ王とすべてのユダ王国の王、そしてイエスの祖であるからだ。

つまり、マタイの福音書で述べられているイエス様の系譜に現れるラハブは、ヨシュア記で述べられているエリコのラハブとは別人だと言っているわけです。なぜなら、エリコのラハブは娼婦だからです。神の系統に娼婦の名が連なることには我慢ができない、ということなのでしょうか。僕は、聖書にラハブという名の人物は他に現れない(詩篇やヨブ記、イザヤ書にあるラハブは海の怪物、またはエジプトの別名)のですから、マタイの系譜に現れるラハブは、ヨシュア記のラハブと同じでいいのではないかと思うのですが、「ユダヤの伝承(タルムード)」を持ち出してまで否定しようとしていますよね。「ユダヤの伝承」はキリスト教の正式文書には含まれないと思うのですが、その点いいのでしょうか。それに、ダビデも結構酷いことをやらかしてますし、ソロモンなんて、晩年は異教神を礼拝しちゃってますよね。

それに、そもそもをいうのであれば、マタイで述べられているのはヨセフの系譜ですよね。イエス様は聖霊によっておとめマリヤにやどったのであって、ヨセフとの血縁は無いはずです。マタイにある系譜は、養父ヨセフの家がダビデの直系であることを照明しようとしているものだと思います。サムエル記下の七章にある神のダビデに対する約束が成就した、ということが言いたいためです。該当箇所を引用いておきましょう。

サムエル記下 第七章

主はまた「あなたのために家を造る」と仰せられる。一二あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。一三彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。一四わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。

日本聖書協会. 口語訳(旧約聖書新約聖書)+文語訳(旧約聖書新約聖書) (p.1135). SakiSyuppan. Kindle 版. 

エス様とダビデの子孫、については、過去記事「福音書の普遍性」でもふれています。

 

それにしても、キリスト教って力の入れどころを間違ってますよね。笑