前回の記事、
christian-unabridged-dict.hatenablog.com
において、「歴代誌や列王記を冷静に読めば、イスラエルの歴史は、ほとんど、多神教の神を礼拝していたことを識ることができる」と述べましたが、今回はそのことについて検証してみましょう。
まず、聖書協会の聖書本文検索サイトから、口語訳を指定して「高き所」という語句を検索してみましょう。
すると、次のように検索結果が表示されます。
「高き所」とは、検索結果の全てがそうでは無いかもしれませんが、概ね異教の神殿のことです。聖書には異教の神殿についての記述が、思いの外沢山あることがわかります。共同訳では「高台」となっていますが、日本でも、お寺には「山号」があって、平地にあるお寺でも「~山」と号する習わしがありますが、これと似たものかもしれません。
19件の書名がヒットしました。
レビ記
民数記
申命記
サムエル記上
サムエル記下
列王紀上
列王紀下
歴代志上
歴代志下
ヨブ記
詩篇
イザヤ書
エレミヤ書
エゼキエル書
ホセア書
アモス書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ヘブル人への手紙
さらに、列王記上の検索結果から選んで読んでみましょう。
2:列王紀上/ 03章 03節
ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。12:列王紀上/ 22章 43節
ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
列王記では、ソロモン王が主を愛しながらも他の神々をもまた礼拝していた、と記録されているのですが、これは、古代イスラエルには、多くの神々に対する信仰が共存していて、聖書の神である「主」はその中の一柱に過ぎなかったのだ、ということを示しているわけです。また、聖書にはバアルという異教の神が登場しますが、バアルとは、セム語で「主」という意味なのであって、神を「主」と呼ぶ習慣も、バアル信仰などの先輩宗教からのいただきものなのかもしれません。
上に引用した「Bible Archaeology: ‘high places’」というサイトから、グーグルによる翻訳を通して一部を見てみましょう。
結局のところ、聖書の人々は農民であり、天候や季節の循環に関するカナン人の信念に精通していました。彼らは、何千年もの間自分たちを見守ってくれた古い神々を見捨てるつもりはなかった、と彼らは信じていた。
彼らはすでに多くの神々を崇拝していました。今、彼らはリストにヤハウェを加えただけです。それは十分公平でした。しかし、古い神々を放棄しますか?いいえ。ヤハウェへの祭壇は、神聖な石碑 (マッツェバ) と神聖な木または木の柱 (アシェラ)の横に建てられます。
そして、聖書には、こういった多神教の習俗を前提とした記述があるのだ、と説明されています。
イスラエル人にとって、特定の場所は神がそこに臨在を示したので聖地でした。たとえば、ベテルの神殿は、アブラハムとヤコブに対する神の出現によって神聖化されました。ヤラベアムはそこに、祭壇やその他の祭祀具を備えた、文字通り「高き所の神殿」である「ベス・バモス」を設立しました。
出エジプト記にも、いきなり幕屋の具体的な寸法や材質、祭具や祭服のデテイルが述べられていることに違和感を感じますが、すでにあった異教の習俗を拝借したのであれば納得できることです。
いかがでしょうか。今でこそユダヤ教徒であることがユダヤ人の条件、などと言って、ユダヤ教は隆盛であるかのように見えますが、イエス様以前はそうでもなかった、というところが事実のようです。
聖書を読むと、イスラエルはエジプトからの帰還以来、純然たるユダヤ教国家であって、全ての国民はユダヤ教徒である、または、そうあるべきである、と認識していたかのように思われてしまいそうですが、実際にはそうではなくて、古来からあった様々な宗教が混在していたのであって、ユダヤ教はその中の小さなグループの一つに過ぎなかった、ということだったのでしょう。