キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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キリスト教とくじびき

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「くじ引き」はキリスト教からみて合法か違法か、といいますと、少なくとも違法ではない、と言えるのではないかと思います。なぜなら、聖書にくじ引きについての言及があって、否定的ではないことが読み取れるからです。

まず「ウリムとトンミム」についてみてみましょう。

出エジプト記 28:29-30 に、

アロンが聖所にはいる時は、さばきの胸当にあるイスラエルの子たちの名をその胸に置き、主の前に常に覚えとしなければならない。あなたはさばきの胸当にウリムとトンミムを入れて、アロンが主の前にいたる時、その胸の上にあるようにしなければならない。こうしてアロンは主の前に常にイスラエルの子たちのさばきを、その胸に置かなければならない。

 とありますが、ウリムとトンミムが「くじ引き」であることは、サムエル記上 14:41

そこでサウルは言った、「イスラエルの神、主よ、あなたはきょう、なにゆえしもべに答えられなかったのですか。もしこの罪がわたしにあるか、またはわたしの子ヨナタンにあるのでしたら、イスラエルの神、主よ、ウリムをお与えください。しかし、もしこの罪が、あなたの民イスラエルにあるのでしたらトンミムをお与えください」。こうしてヨナタンとサウルとが、くじに当り、民はのがれた。

という記述から推測することができます。

ネヘミヤ書 11:1 には、

民のつかさたちはエルサレムに住み、その他の民はくじを引いて、十人のうちからひとりずつを、聖都エルサレムに来て住ませ、九人を他の町々に住ませた。

とあります。また、民数記 26:55、33:54、ヨシュア記 7:14-18、14:2,8、ヨブ記 6:27 など、くじ引きによって大切な選択が行われた、という事績が数多く記録されています。

新約聖書にもくじ引きが行われたことが記されていますが、まず思い浮かぶのは、福音書に記されている、十字架に掛けられたイエス様の衣服を、兵士たちがくじ引きで分けた、というお話でしょう。この箇所においても、事実として述べられてはいますが、そのことが悪いことであると指摘されているわけではありません。聖書では「くじ引き」を通常の生活行為として取り扱っているようです。

中でも特に印象深い記述が使徒行伝の中にあります。みてみましょう。

使徒行伝 1:26

それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。

キリスト教徒は「くじ引き」には、神の意志が正確に反映される、と考えている、ということがわかります。現代に於いても同様で、たとえば、カトリック教会が行う教皇選出選挙(コンクラーベ)というものがあって、指名投票という形式で行われるのですが、これがまさに「くじ引き」の一つだと言えるでしょう。全員が一致するまで何日も、過去には数ヶ月も費やしたという記録があるようですが、あみだくじにすれば数分で終わるのに、とも思います。

このように、キリスト教徒は、神と直接コンタクトを取りたい場合、くじ引き、という手段を取るようです。新約聖書でもそのように示されていますので、これは正統的な方法と認識されているはずだと思うのですが、あまり応用はされていないようにも見えます。

次に、使徒行伝の別の箇所をみてみましょう。

使徒行伝 2:43

みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。

「奇跡としるし」とありますね。使徒たちには神通力のような超能力があり、いろいろな奇跡的なことを行って見せることができたのでしょうか。それは、神がかれらに憑依して、彼ら自身から神の力が発せられた、という解釈でよろしいのでしょうか。

しかし、そんなことができるのであれば、「くじ引き」なんかにたよらなくても、「奇跡としるし」でやるほうが早いんじゃないかと思うのですけど(笑)。