キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

教会一致運動は現実的か

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教会一致運動(エキュメニズム)とは、 エキュメニズム - Wikipedia によれば、

20世紀に起こった、プロテスタントを中心とするキリスト教の教会一致運動を、エキュメニカル運動、エキュメニズムといい、「世界教会一致運動」と訳される。この立場にたち、キリスト教の超教派による対話と和解、一致を目指す主義をエキュメニズム世界教会主義)という。

20世紀になって盛んになったエキュメニズムは、1910年エジンバラ世界宣教会議を源流とする。もともとプロテスタントにおいて始まったものだったが、現代のキリスト教における大きな潮流の一つとなっている。

とあります。また、エディンバラ宣教会議 - Wikipedia には、

WCCのエキュメニカル運動が、教理を度外視して教派の数を減らし、無くして行き、段階的に教会の合同、統合を進め、ついには巨大な世界教会の建設を目指している

とあります。

しかし、そんなことが可能なのでしょうか。例えば、神の予定を信じている教会が、神の予定の教理を捨てて、万民救済説を奉じる教会の信徒と共に、同じ神を同じ価値観で礼拝することができるのでしょうか。

また、イエス様は実在したと考えなくても良い、という教会もありますし、聖書は人間による著作物である、という教会と、聖書は神が人間に憑依して直接著したものだ、という教会があります。教皇に関する問題もありますし、聖餐のパンとぶどう酒に対する理解もそれぞれ違います。マリヤ様や聖人への理解の違い、聖画像に関する問題、聖霊の発出源についての問題など、それらの違いを本当に収拾できるのか、数えだしたらきりがありません。

つまり、「キリスト教」という大きい括りの名称がたまたま同じであるだけのことで、それらはもはや別の宗教だと言ってよいほどだと思います。「一致」なんてするわけがないのです。あえて可能性を求めるとするならば、アングリカンとルーテルの中で、希望するものがカトリックへ帰るケースが許されてもいいのかもしれませんが、実現したとしても、カトリックの教勢が少し強まるだけのことで、教会一致というよりは、新たな分断や争い、摩擦が発生するだけの結果を生むであろうことは、火を見るよりも明らかだと思います。

こういう将来性を感じない、非現実的な事業をやっているのを見ると、根が卑しいせいか、「どうせ利権が絡んでるんじゃないの?」と勘ぐってしまいます。

「一致」なんていう実現不能絵空事に金をつかうよりも、「真面目なキリスト教会は」という観点で仲良しサークルを作ればいいのですよ。単性論でも終末論でもかまわないが、輸血拒否や体罰、ハラスメントはダメ、というような基準を定めて、真面目なキリスト教会の認定を行う機関を立ち上げ、ダメな点を改めることができれば、あなた方も「真面目なキリスト教会」と認められるのですよ、と指導するわけです。献金額の上限を定めれば、高額献金で苦しむ人もなくなるはずです。「真面目なキリスト教会」の認定を受けていても、上限を超える金額を要求したり徴収したりする教会は認定を剥奪されるのです。

教会を一致させることよりは、よほど世の中の役に立ちそうだと思いますよ。そういう、現実的に有用なことを行うことこそが、キリスト教という宗教の行うべきことなのではないのかと思うのですけどね。