第2バチカン公会議 - Wikipedia から、「典礼」というセクションを引用しましょう。
この公会議の後、外見的な部分で教会が変わったと人々を実感させたのは典礼の改革であった。この精神は『典礼憲章』にくわしい。教会は典礼においてすべての人が積極的にこれにかかわることが求められるとして、多くの改革を実行した。たとえばそれまでほとんどラテン語で行われていたミサおよび典礼の諸儀式が各国語で行われることになった。また司教の判断のもとに(全世界一様でなく)その地域文化に根ざした典礼のあり方が模索されることになった。(典礼の見直しにともなって、レクイエム・ミサにおける続唱(「怒りの日」など)も廃止された。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎており、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由であった。)
「たとえばそれまでほとんどラテン語で行われていたミサおよび典礼の諸儀式が各国語で行われることになった。」とあります。
たいていの人は、正教会は元々その国の国語で典礼を行うのに、カトリックはラテン語を公用語に指定し、第二バチカン公会議まではどの国においても、典礼はラテン語で行われていた、というように理解されているのではないかと思うのですが、キリスト教には元来、五つの総本山、ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、エルサレム、アンティオキアがありましたが、それぞれの本山、及び本山に従属する教会群は、典礼を、それぞれの本山が用いるところの母国語で執り行いなさい、と定められていました。これが、「正教会は元々その国の国語で典礼を行う」の意味です。そして、カトリック教会の原型であるローマ(正)教会の本山であるラテラノ大聖堂付近の国語はラテン語であったので、カトリック教会の公用語はラテン語になったわけです。
ロシア正教会の公用語が教会スラブ語であり、日本ハリストス正教会の公用語が日本語であることも同じ理由であって、日本には、本駒込と下目黒にロシア正教会がありますが、これらの教会は日本にあっても典礼は教会スラブ語で行っているはずです。
それと同じで、たとえ日本であれ、アメリカであれ、カトリック教会であるのなら、典礼はラテン語で行われるべきだ、ということになるでしょう。ロシア正教会の典礼が教会スラブ語で行われるように、カトリック教会の典礼はラテン語で行われる。これが、原初からの教会運営の伝統に沿った正しい理解と実践であるわけです。
と言うと、日本にある教会が外国語で礼拝をしたのでは意味が伝わりにくい、と言う人がでてくるのでしょう。しかし実際、現状で礼拝は日本語口語で行われていますが、ラテン語で行われていたときに比べて、よく理解できるようになったのでしょうか。
知りたい、という気持ちがある人は、ラテン語であろうと知る努力を惜しまないでしょうし、興味がなければ、日本語の口語であろうと何の関心をも示さないでしょう。そんなものです。
一つ、具体的な例を見てみましょう。
いかがでしょうか、これでは、田舎の役人が行う、意味のない忘年会の乾杯の挨拶を、長々と我慢して聞いているようなものです。実につまらない押し付けでしかありません。司式司祭の独唱会のようになってしまっていることにも少なからぬ違和感を覚えます。
ラテン語による旧式の典礼には、エンターテイメント的な素質を持たない無能無質なボンクラ親父からであっても、それなりの威厳と説得力を引き出せる力があったということです。それがカトリックのやり方であり、魅力でもあるということでしょう。「意味が」というのであればプロテスタント教会へいけばいいわけです。
いかがでしょうか。同じ意味のことを行っているとは思えないぐらいの格調の差があるように思います。もし第二バチカン公会議による典礼改変がなかったとしたら、日本のカトリックはいまよりも100倍ほどの隆盛を見たのではないだろうかと思います。しかし、実際には、福音派が「亜カトリック」に、カトリックは「亜プロテスタント」に変貌してしまったと言うべきかもしれません。
実際、これだけ世の中の国際化が進んで来たことをみれば、もしミサをラテン語で行っていたなら、世界のどこであれ、国語で行うしかない説教を除けば、どの国の人であれ、何の違和感もなく、自然に礼拝に参加することができたはずです。何時からは英語、何時からはタガログ語、などという差別はしなくても、同じミサに同時に参加することができたのです。
改変によって「わかりやすく」なったのではなくて、世論に追従して「堕落」してしまった、そのように見えます。「先見の明」が無かったということです。
提案するとすれば、各教区の司教座聖堂だけは、祭壇を東面式に改め、トリエント・ミサを正しく挙行するように決めてはどうかと思います。