キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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東西大分裂で離反したのはカトリック教会であること

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元々「正統」であったキリスト教は、ローマ・カトリック教会であったのか、それともギリシャ正教会コミュニオン(ローマを含む五大総本山)であったのか、という問題があるかに見えるのですが、これは実際には「問題」ではなくて、明らかに正教会が正統です。

カトリック教会は、元々、世界には「カトリック教会」という教会しかなかったのに、東方の教会群が結託してカトリック教会から離反してしまったのだ、と主張したがるようですが、たとえば、次の理由から、その主張を否定することができるのではないかと思います。

 

第一回目から七回目までの公会議は「全地公会議」と呼ばれ、カトリックプロテスタント正教会がその正当性を認めていて、ニケア・コンスタンティノポリス信条の採択、ネストリウス派、単性論の排斥、イコノクラスムの排斥などの教義が決まった重要な教会会議でした。

公会議の名称 概要 有効性を認めている教会
西方教会 東方教会
カトリック その他 正教会 非カルケドン派 アッシリア東方教会
全地公会議(第1回〜第7回)[2]
1 325年 第1ニカイア公会議 アレイオス派排斥およびニカイア信条採択、復活祭復活大祭)の日付を確定
2 381年 第1コンスタンティノポリス公会議 三位一体論の定義、ニカイア・コンスタンティノポリス信条採択
3 431年 エフェソス公会議 ニカイア信条の正統性を確認。ネストリオス派の排斥とテオトコス論争の決着
4 451年 カルケドン公会議 エウテュケス英語版らの唱えた単性論(449年エフェソス強盗会議において認められたもの)の排斥
5 553年 第2コンスタンティノポリス公会議 三章問題(en)の討議、カルケドン公会議の決定の再確認
6 680年
681年
第3コンスタンティノポリス公会議 単意論の排斥。ホノリウス問題を討議
7 787年 第2ニカイア公会議

聖像破壊論者の排斥

Wiki 公会議」より引用

 

この七つの公会議の開催地は、それぞれの会議の名称から知ることができるわけですが、ニカイアとは小アジアのニコメディアの南部の町ニカイアであり、コンスタンティノポリスとは東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスであり、エフェソスとは小アジアの古代都市エフェソス、カルケドンとは小アジアのピティニアの都市カルケドンであって、いずれも、東ローマ帝国内にあるギリシャ正教会勢力圏内に存在した都市です。つまり、全地公会議は、ローマ・カトリック教会の勢力圏内に於いては一度も開催されていないのです。

313年のミラノ勅令に続く4世紀には、ゲルマン人フン族流入などにより、西ローマ帝国は荒廃、衰退していた時代でした。「パクスロマナ」として知られ、繁栄を極めた西ローマも全地公会議の頃にはすっかり「オワコン」になっていたわけです。国家がオワコンでも教会の正統性とはまた別の話だ、といえなくもないかもしれませんが、重要な会議が、教会の本拠地から遠く離れた隣の新興国の首都付近に偏った地域で開催されているのは、いかにも不自然なことと感じます。

このことからも、元々正統であったのは正教会であって、ローマ主教区が離反した、と見るのが自然、ということを納得することができると思います。