キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

神の兄弟

f:id:christian-unabridged-dict:20210724123414j:plain

isjesusalive.com

聖書には、イエス様に兄弟がいたことを伺わせる記述があります。Wikiから引用してみましょう。

ja.wikipedia.org

マタイ福音書』及び『マルコ福音書』から、イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン(シメオン)、ユダ及び妹2人がいたことが分かる。彼等の位置づけについては、キリスト教会間では意見が分かれる。プロテスタント教会では文字通りに、ヨセフマリアとの間の子供と見做しているが、マリアの処女性を認める正教会及びカトリック教会はこれを認めず、独自の解釈を出している。 

このことについて、プロテスタント教会は、マリヤとヨセフの間にうまれたイエス様の異父兄弟である、と理解しているのですが、

正教会は、Wikiによれば、

正教会はヨセフが先妻との間にもうけた子供たちであると見做している。新約聖書外典である『ヤコブ原福音書』にその要素が見出される(但し、正教会は自らの解釈を伝承に由来するものであるとし、外典を根拠としている訳ではない)。 

 と考えていて、カトリックは、

カトリック教会では、古代ユダヤ社会では“兄弟”と言う言葉は同時に“従兄弟”も意味すると解釈し、更にエウセビオスが『教会史』に引用する、ヤコブ殉教後にヨセフの兄弟クロパ英語版の息子であるシメオンがその後を継いだとするヘゲシップスの記事に注目し、イエスの叔父クロパの息子と見做している。

と考えている、とあるのですが、ヨセフの先妻の生んだ子である、とするのであれば、マルコによる福音書 6:3 に登場する四人の兄弟と二人(以上)の姉妹は、全て年上の兄、姉ばかりであったことになるはずです。見てみましょう。

マルコによる福音書 6:3

この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか

このとき、イエス様が三十歳ぐらいだとすると、兄や姉達はそれ以上でしょうから、立派なオトナもいいところです。そうだとすると、なぜ兄たちは揃って実家で生活を続けていたのか、姉達も嫁がずに実家にいたのでしょうか。また、東方の博士が帰ったあと、天使がヨセフにエジプトに逃げるように指示しましたが、上の兄、姉達については言及していません。

マタイによる福音書 2:13

彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」 

これも不思議、というか、ちょっと話が通らないでしょう。

また、従兄弟姉妹という意味だった、という考え方については、コロサイ人への手紙で、

コロサイ人への手紙 4:10

わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている。

Colossians KJV 4:10

Aristarchus my fellowprisoner saluteth you, and Marcus, sister's son to Barnabas,

とあるように、従兄弟であればそう明らかに表現されているわけですから、これも疑わしい話です。

また、マリアとヨゼフの間にできたイエス様の兄弟だとしても、

ja.wikipedia.org

によれば、

4世紀の歴史家エピファニウスによれば、イエス昇天後にエルサレムで活動した弟子たちの教団であるエルサレム教会の初代教会長を、紀元38年から、石打ちの刑で殺された紀元62年まで、24年間つとめたとされる。

とあって、イエス様の兄弟の一人であるヤコブという人物が、初期教団の重鎮であった、ということになっているのですから、イエス様の誕生日や処刑された日、復活した日、昇天した日、それぞれの具体的な日付年月日が一切伝えられていない、という現実は全く腑に落ちないことだと思います。

実際、聖書に記されていることの殆どは、理性的に考えて歴史上の事実ではないでしょう。しかし、キリスト教という宗教は現実に存在しますし、西洋史のほとんどと、世界史においても重要な局面において、キリスト教は小さくない影響を及ぼしてきました。

僕としましては、一体どこからが現実のキリスト教なのか、実在した人物はキリスト教史上何年の誰からなのか、ということに興味があります。そういうことが明らかになれば、今までうまくいかなかった色々なことが、うまく行きだすのではないか、というような気がするのですけど、それは楽観というヤツでしょうか(笑)。