キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

イエス様の顔と虐殺の関係

www.bbc.com

エス様の像、というと、上のような碧眼紅毛、というとちょっと古い表現ですが、要するにヨーロッパ型の男性、青い目で長髪の、長い髭を蓄えた人物を思い浮かべます。

上の、BBCのサイトでは、

このおなじみのイエスの像は、実際には 4 世紀以降のビザンチン時代のものであり、ビザンチン時代のイエスの表現は象徴的なものであり、それらはすべて意味に関するものであり、歴史的な正確さではありませんでした。

ローマのサンタ・プデンツィアーナ教会の祭壇のモザイクに見られるように、それらは即位した皇帝のイメージに基づいていました。

と説明されています。(※引用は、原文をgoogleの翻訳機能で日本語に翻訳した文章です。以下も同様です。)

頭上の光輪は、元々は太陽神アポロを表す特徴だったが、イエスの天上の性質を示すためにイエスの頭に付け加えられるようになった

また、ギリシア神話の主神、ゼウスの容貌からも影響があったと考えられることや、ヒッピーの文化から、イエス様の造形に影響があったことなどの説明があります。

また、実際のイエス様の容貌についての考察として、当時生きていた一般的なユダヤ人の姿、ドゥラ・ユーロポスの 3 世紀のシナゴーグの壁に描かれたモーセの姿のことなどが紹介されています。

2001年、法医学人類学者のリチャード・ニーブは、この地域で発見された実際の頭蓋骨を基に、BBCのドキュメンタリー『サン・オブ・ゴッド』のためににガリラヤ人のモデルを作成した。イエスの顔と断定したわけではなく、イエスの時代の一般的な人物を再現したもの。イエスもだいたいこのような風貌であっただろう。

 

ドゥラ・ユーロポスの 3 世紀のシナゴーグの壁に描かれたモーセの姿

そして、EARTHLY MISSION の次の記事を御覧ください。 

earthlymission.com

一部引用しましょう。

チェザーレ・ボルジア(左)とイエス・キリスト

更新: どうやら(情報を提供してくれたジェイソン・マクニールに感謝) この物語には別の角度 もあるようで、The Holy Prepuce によると、白いイエスチェーザレ・ボルジアをモデルに している可能性があるそうです。
その理論は、カトリック教会が定期的に行っているユダヤ人やイスラム教徒の虐殺に対して、 彼らが殺している人々がイエスに似ていたため、人々は一般にあまり熱心ではなかったという ものである。その後、教皇アレクサンデル6世は、セム族のイエスを描いたすべての芸術品の 破壊を命じ、白人のイエスを描いた数多くの絵画を注文した。 彼の息子、 チェーザレ・ボルジ ア枢機卿がこれらの絵画のモデルとなった。こうして、ボルジア家の中で最も意地悪な人物 が、今日キリスト教徒に崇拝される象徴的な白人のイエスとなった。

教会にあるイエス様の聖像が、実際通り中東の人物を表現していると、十字軍の兵士が中東でアラブ人やユダヤ人を見たとき、教会にあるイエス様の聖像と同じ顔なので、神を殺すような気持ちになって、殺せなくなってしまうのだが、それではだめなので、聖像をヨーロッパ人風にかきかえてしまったのだ、と説明されています。

キリスト教の神は、戦争の役に立つよう、色々と改良を重ねられてきたのだ、ということのようです。

カインの妻とキリスト教の存在意義の関係

www.monasterodibose.it

過去の記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

でも少し触れたのですが、創世記に、カインは妻を知った、という記述がありますが、その時点で、アベルはカインに殺された後ですので、世の中に、人間は、アダムとイブとカインの三人だけであるはずです。この、妻とは一体誰なのでしょうか。

正教会カトリックプロテスタントの主流派などでは、創世記の四章あたりまでは、ユダヤ教成立前からカナン地域に存在した伝承を寄せ集めた、いわば神話なのであって、一言一句を論理的に考察するべきところではない、と考えて、精神的な意味合いだけを読み取ろうとするのですが、福音派のような原理主義グループは、逐語霊感説を主張するために、例えば次のように理解しようとするようです。

seishonyumon.com

少し引用しましょう。

アダム以降の数世代の人たちは、近親結婚を実行していました。

人類が地上に増え広がるためには、それしか方法がなかったのです。と同時に、当時は、近親結婚を禁じる優生学的理由がありませんでした。今日では、近親婚は遺伝的に問題のある子どもを産む可能性が高いと言われていますが、アダム以降の数世代の人たちには、そのような恐れはありませんでした。人類のDNAの劣化は、さほど進んでいなかったからです。それゆえ、近親結婚は禁じられてはいませんでした。

聖書に記述されていないが、実は、カインには姉妹が存在していて、妻というのは、その姉妹であったのだ、と言っています。この時点ではまだモーセの律法が定められておらず、近親結婚は禁じられていないので構わないのだ、とも言っています。

※参考 - カインの姉妹に関する伝承

カインの妻が姉妹であった、という仮説は、現代の原理主義者たちが初めて発案したものではなく、昔からエチオピアの伝承などで見られたようです。

アワン - Wikipedia

ルルワ - Wikipedia

しかし、それならば、殺人もOKだったでしょうから、アベルを殺したからと言って神に咎められることはなかったはずですよね。また、近親相姦が禁じられた理由は、子供に問題が生じるから、という理由だけではなく、倫理的な理由からでもあったと思います。

創世記で、神はアダムとイブに生命の樹と善悪の樹を示しましたが、これは、神が彼らに「秩序と理性」、つまり「律法」を口伝した、ということを暗示しているのです。ですから、殺人や近親結婚が正しくないことであることは、すでに知っていた、ということになるはずです。

モーセの律法とは、アダムに与えられた律法を明文化したものなのであって、その時点で突然色々なタブーが発生したわけではないのです。

律法(原理)主義者ほど律法の理解が正しくない、とは皮肉な現実に見えますが、そもそも、律法を正しく理解していれば、「律法主義」などという状態には陥らないはずだと言えるかもしれません。

一方、ユダヤ教の伝統的な理解では、カインの妻は、アダムとイブが作られる前にすでに作られていた別の人間だと言うことらしいです。

アダムとエバ - Wikipedia から引用してみましょう。

ユダヤ教においては、アダムとハヴァは全人類の祖とみなされてはいない。天地創造の際に神は獣、家畜、海空の生き物と同時に神の似姿の人間を創造し、アダムの誕生とは区別して記述されているからである。アダムはあくまでもユダヤ人の祖であり、その他の人類は魂(命の息)を吹き入れられていない、つまり本当の理性を持たない人であり、ゴイムとされる。神の民族がその他人類と交わり、子孫を残していく記述が聖書に散見されるが、その中でも律法を守り、神に従う者がアダムの直系であるアブラハムの民であり、イスラエルヤコブ)、ユダヤの民とされる。

たしかに、創世記では、アダムとは別に人類が創造されているようにみえます。アダムとイブが創造されるのは、神が、全ての創造をなし終えた後のことなのですが、創世記1-27には、創造の途上である第6日に、

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

と記述されています。

このときに創造された中の、または中から生まれたゴイム(異民族)の一人がカインの妻となったのだと考えているわけです。

まだしも、ユダヤ教的な理解の方が、宗教テキストとしてはふさわしいのではないかと感じるのですが、原理主義者が近親結婚を合法化してまでアダムの妻を姉妹であったことにしようとするのには理由があります。

その理由はゴイムの存在を認めたくないから、です。

もし、神がゴイムを創造したのであれば、ユダヤ人以外の全ての民族はゴイムであることになってしまうのですが、そうすると、キリスト教徒であることの意味が失われてしまうのです。キリスト教原理主義者にとってキリスト教とは、原罪の軛から、イエス様が死と復活によって、キリスト教原理主義者だけを救い出して、天国へ導いてくれることを望む宗教であるわけですから、もし、アダムとの血縁がないのであれば、原罪も遺伝していないことになり、キリスト教徒である意味も無くなってしまいます。

それで、カインを近親相姦犯にしてでも、その他に人類は存在しなかった、ということにしようとするわけです。

でも、聖書が逐語霊感によるものだというなら、ユダヤ教のゴイム説のほうが近いように思うのですけどね(笑)。

童貞様

www.neversjapon.org

過去の記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

で、晩年、認知症になって聖書を投げ捨てた大叔母(キリスト教徒)のお話をしたのですが、彼女が生前、カトリックの童貞様が、ということを時々口にしていたことを覚えています。童貞様というのは、カトリックの修道女に対する古い敬称なのだそうですが、学友にカトリックの信者さんがいたとのことで、その方に連れられて、伏見の藤森にある「ヌヴェール愛徳およびキリスト教的教育修道女会」でミサなどに参祷したようで、修道女とも親しく話をする機会があったようです。上に貼った同会の公式サイトでは「ヌヴェール愛徳会」という名称になっているようですが、変更されたのかもしれません。同地や大阪の香里園にある聖母女学園を経営する修道会です。

その話を初めて聞いた時、僕は特に批判的には思いませんでした、おさない時分でしたから当然なのかもしれませんが、家族も同様で、非難したりする人はいなかったと思います。むしろ、経験や見識を深めるため他の教派の教会へ見学に行くことは、必要なこととであると考えていたと思います。実際、父母に連れられて、下立売のアグネス教会(聖公会)の聖餐式を見学に行ったことを覚えています。

キリスト教の教会や所属信徒は他の教会や教派を批判するものだ、という図式を初めて識ったのは、インターネット掲示板SNSでだったと思います。ふとみると、もの凄いステレオタイプな罵りあいが展開されていて、驚いたというよりは、滑稽に感じました。実社会ではそんなことはあり得ないからです。妄想のステレオタイプの再現を楽しんでいる人がいるのです。

プロテスタント教会カトリック教会を批判するために発生しました。これは事実ですし今もその通りだと思います。しかし、カトリック教会を非難したり攻撃的に接することは正しくないと思います。

正しい実践は、自らが、本質を見失ってしまわないように批判し続ける、ということだと思います。自分自身の内にある誤謬に抗することがプロテスタントの意義であるわけです。

でもまあ、人が争っているところを見物するのは楽しいですけどね(笑)。

「高き所」は異教の礼拝所

womeninthebible.net

 

前回の記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

において、「歴代誌や列王記を冷静に読めば、イスラエルの歴史は、ほとんど、多神教の神を礼拝していたことを識ることができる」と述べましたが、今回はそのことについて検証してみましょう。

まず、聖書協会の聖書本文検索サイトから、口語訳を指定して「高き所」という語句を検索してみましょう。

すると、次のように検索結果が表示されます。

「高き所」とは、検索結果の全てがそうでは無いかもしれませんが、概ね異教の神殿のことです。聖書には異教の神殿についての記述が、思いの外沢山あることがわかります。共同訳では「高台」となっていますが、日本でも、お寺には「山号」があって、平地にあるお寺でも「~山」と号する習わしがありますが、これと似たものかもしれません。

19件の書名がヒットしました。
レビ記
民数記
申命記
サムエル記上
サムエル記下
列王紀上
列王紀下
歴代志上
歴代志下
ヨブ記
詩篇
イザヤ書
エレミヤ書
エゼキエル書
ホセア書
アモス
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ヘブル人への手紙

さらに、列王記上の検索結果から選んで読んでみましょう。

2:列王紀上/ 03章 03節
ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。

12:列王紀上/ 22章 43節
ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。

列王記では、ソロモン王が主を愛しながらも他の神々をもまた礼拝していた、と記録されているのですが、これは、古代イスラエルには、多くの神々に対する信仰が共存していて、聖書の神である「主」はその中の一柱に過ぎなかったのだ、ということを示しているわけです。また、聖書にはバアルという異教の神が登場しますが、バアルとは、セム語で「主」という意味なのであって、神を「主」と呼ぶ習慣も、バアル信仰などの先輩宗教からのいただきものなのかもしれません。

上に引用した「Bible Archaeology: ‘high places’」というサイトから、グーグルによる翻訳を通して一部を見てみましょう。

結局のところ、聖書の人々は農民であり、天候や季節の循環に関するカナン人の信念に精通していました。彼らは、何千年もの間自分たちを見守ってくれた古い神々を見捨てるつもりはなかった、と彼らは信じていた。

彼らはすでに多くの神々を崇拝していました。今、彼らはリストにヤハウェを加えただけです。それは十分公平でした。しかし、古い神々を放棄しますか?いいえ。ヤハウェへの祭壇は、神聖な石碑 (マッツェバ) と神聖な木または木の柱 (アシェラ)の横に建てられます。

そして、聖書には、こういった多神教の習俗を前提とした記述があるのだ、と説明されています。

イスラエル人にとって、特定の場所は神がそこに臨在を示したので聖地でした。たとえば、ベテルの神殿は、アブラハムヤコブに対する神の出現によって神聖化されました。ヤラベアムはそこに、祭壇やその他の祭祀具を備えた、文字通り「高き所の神殿」である「ベス・バモス」を設立しました。

出エジプト記にも、いきなり幕屋の具体的な寸法や材質、祭具や祭服のデテイルが述べられていることに違和感を感じますが、すでにあった異教の習俗を拝借したのであれば納得できることです。

いかがでしょうか。今でこそユダヤ教徒であることがユダヤ人の条件、などと言って、ユダヤ教は隆盛であるかのように見えますが、イエス様以前はそうでもなかった、というところが事実のようです。

聖書を読むと、イスラエルはエジプトからの帰還以来、純然たるユダヤ教国家であって、全ての国民はユダヤ教徒である、または、そうあるべきである、と認識していたかのように思われてしまいそうですが、実際にはそうではなくて、古来からあった様々な宗教が混在していたのであって、ユダヤ教はその中の小さなグループの一つに過ぎなかった、ということだったのでしょう。

 

ユダヤ教はキリスト教よりほんの100年長いだけだった

www.smithsonianmag.com

ユダヤ教は思いの外若い宗教だった、という記事です。一部を、googleによる翻訳を通してご紹介しておきます。

これはイスラム教とキリスト教の祖先であり、現存する世界最古の宗教の 1 つであり、その起源はおよそ 4,000 年前に遡るという見方もあります。少なくとも、これは長い間ユダヤ教に対する一般的な見方でした。しかし今、イスラエルの考古学者がこうした長年の思い込みに疑問を呈している。

ヨルダン川西岸にあるアリエル大学のヨナタンアドラー氏は、15年間にわたる文書と考古学的証拠の研究に基づいて、一般のユダヤ人は1世紀ほどまで一貫して過越祭を祝ったり、安息日を神聖視したり、その他の伝統的なユダヤ教の儀式を実践したりしなかったと結論づけている。イエスが生まれる前。もし彼の理論が正しいと証明されれば、ユダヤ教はせいぜいキリスト教の兄妹であり、古代ギリシャやローマの宗教の従弟に過ぎないことになる。

どうやらこういうことが真実のようですね。それでは、聖書に書いてあることは嘘だということなのでしょうか。僕は、聖書には、イスラエル王国が、もしも聖書の神が支配する国家であったなら、という前提を持つ物語が記されているのだと考えればいいのではないかと思います。それに、歴代誌や列王記を冷静に読めば、イスラエルの歴史は、ほとんど、多神教の神を礼拝していたことを識ることができるのであって、むしろ、この記事の内容を裏付けているのではないかと思います。

とても興味深い記事です。是非お読みください。

イエス様と障害者

catholicreadings.org

福音書には、障害者に対するイエス様の言動が記されています。見てみましょう。

ヨハネによる福音書 9:1-5

エスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる?。わたしは、この世にいる間は、世の光である」

うまれつきの盲人に光りがもたらされる、ということが、何を示しているのかは、本ブログをお読み下さっている皆様には、すでにおわかりいただけるだろうと思います。

そうです。「金に執着する限り幸福にはなれない」ということです。我々はそのことを知らなかったし、イエス様にそのことを教えてもらってもなお、理解したくはない、と感じ続けているのです。

世の中の一体誰が「健常」であると言えるのか、それは、どこに「神と同等の価値観」を備えた人がいるのか、と問うことと同等であるわけですが、そんな人はどこにもいない、ということは明白なのであって、だから、イエス様は「わたしは、この世にいる間は、世の光である」と発言したのです。聞いて、意味を考えなさい、というわけです。

目に見える障害だけが障害ではない。最も深刻な障害は、他人を顧みずに自らの欲望を満たそうとすることである、と、教えているわけです。

カトリックの神父がセクハラ

www.pauline.or.jp

 

10年ほど前の下記ブログ記事ですが、大阪府茨木市カトリック教会の神父が、家政婦に対してセクハラを行ったという記事がありました。引用してみましょう。

blog.goo.ne.jp

 

 

大阪府茨木市カトリック大阪大司教区茨木教会の神父が信者の母子にセクハラ行為をしたとされる事件で、府警茨木署は5日、同市駅前3、同教会神父の井上博嗣容疑者(74)を母親(43)に対する強制わいせつ容疑で逮捕した。井上容疑者は「キスをしたことは間違いないが、わいせつ目的ではなかった」と供述しているという。

 発表によると、井上容疑者は昨年10月下旬~12月下旬の間、約70回にわたり、居住する同教会敷地内の司祭館(神父の居住棟)1階の台所付近で、「愛してます」とささやきながら母親を抱き寄せ、無理やりキスを繰り返した疑い。母親は同教会で食事の支度や掃除などのアルバイトをしており、ほぼ毎日司祭館に出入りしていたが、抱きつかれるたびに「やめてください」と抵抗していたという。

 井上容疑者が、娘の小学生の女児や別の女性信者に対しても同様の行為をしていたという証言もあり、同署は余罪を追及する。

 井上容疑者は、2002年から茨木、高槻(大阪府高槻市)両教会で布教を担当。英知大(現・聖トマス大、兵庫県尼崎市)学長や神戸海星女子学院大(神戸市)の非常勤講師なども務めた。

 大阪大司教区の松浦悟郎補佐司教は大阪市中央区の同大司教区で記者会見し、「関係者におわびしたい。今後このようなことが起きないよう全力を尽くして取り組む」と謝罪した。

 茨木教会はこの日、門が閉ざされたままで、出入りする信者らの姿はなかった。近くの女性信者(86)は「住む場所のない人の世話をするなど、多くの人を助けてこられた。あの神父さんに限ってそんなことは絶対ないはず」と驚いていた。
(2009年2月5日 読売新聞)

カトリックの神父というのは全員がホモセクシャルかと思っていたのですが、そうではなかったのですね(笑)。しかし、いずれにせよ、他人を自らのための性の玩具としか見ていない、という点ではおなじことです。大学の学長を勤めたという人物がこれなのですから、団体全体の質は推して知るべし、というところでしょう。

 

もう少し引用しておきましょう。

神父の質の低下は今に始まったことではありません。信仰生活が長ければ長いほど私たちは「なまぐさ神父」に出会います。例えば献金ネコババする神父だったり、平気で愛人とデートを重ねる神父であったり。
 なぜこのような神父が存在するのかというと神父はまず首になることがないからです。例えば教会内で何か問題が起こるとします。正義感にあふれた信者はまず神父に直談判をし、それでもだめならば司教に訴えに行きます。横浜教区ならば梅村司教ですが、得てして司教というのは神父を守るのです。過去のカトリック藤が丘教会の例でいうと訴えてきた信者たちを恫喝に近い対応で迎え、挙げ句の果てに「信仰心がない。黙想しなさい」と教会の信徒活動を無期限で停止しました。このことからわかるように司教に訴えても無駄なのです。同じ穴のムジナ、叩けばホコリの出る身なのかも知れませんが、とにかく神父を保護しようとします。
 今回のセクハラ事件ですが、実は日本のカトリックの組織の中には「子どもと女性の権利擁護デスク」なるセクシャルハラスメントの窓口がちゃんとあります。ありますが機能しませんでした。このことは日本のカトリック教会には自浄作用がないことを端的に表しているのではないか、と思います。