キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

童貞様

www.neversjapon.org

過去の記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

で、晩年、認知症になって聖書を投げ捨てた大叔母(キリスト教徒)のお話をしたのですが、彼女が生前、カトリックの童貞様が、ということを時々口にしていたことを覚えています。童貞様というのは、カトリックの修道女に対する古い敬称なのだそうですが、学友にカトリックの信者さんがいたとのことで、その方に連れられて、伏見の藤森にある「ヌヴェール愛徳およびキリスト教的教育修道女会」でミサなどに参祷したようで、修道女とも親しく話をする機会があったようです。上に貼った同会の公式サイトでは「ヌヴェール愛徳会」という名称になっているようですが、変更されたのかもしれません。同地や大阪の香里園にある聖母女学園を経営する修道会です。

その話を初めて聞いた時、僕は特に批判的には思いませんでした、おさない時分でしたから当然なのかもしれませんが、家族も同様で、非難したりする人はいなかったと思います。むしろ、経験や見識を深めるため他の教派の教会へ見学に行くことは、必要なこととであると考えていたと思います。実際、父母に連れられて、下立売のアグネス教会(聖公会)の聖餐式を見学に行ったことを覚えています。

キリスト教の教会や所属信徒は他の教会や教派を批判するものだ、という図式を初めて識ったのは、インターネット掲示板SNSでだったと思います。ふとみると、もの凄いステレオタイプな罵りあいが展開されていて、驚いたというよりは、滑稽に感じました。実社会ではそんなことはあり得ないからです。妄想のステレオタイプの再現を楽しんでいる人がいるのです。

プロテスタント教会カトリック教会を批判するために発生しました。これは事実ですし今もその通りだと思います。しかし、カトリック教会を非難したり攻撃的に接することは正しくないと思います。

正しい実践は、自らが、本質を見失ってしまわないように批判し続ける、ということだと思います。自分自身の内にある誤謬に抗することがプロテスタントの意義であるわけです。

でもまあ、人が争っているところを見物するのは楽しいですけどね(笑)。