キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

霊魂とは

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www.belfasttelegraph.co.uk

「霊魂」とは何のことでしょうか。ウエストミンスター信仰告白の第32の1には、

人間のからだは、死後、ちりに帰り、朽ち果てる。しかし彼の霊魂は(死にもせず、眠りもせず)不死の本質をもっているので、直ちにそれを与えられた神に帰る。 

とあって、人間のからだと霊魂とは別のものであって、からだは死滅するが、霊魂は永遠に不滅である、と説明されています。

しかし、自分自身のことを考えてみてください。夜、就寝するとき、我々の「霊魂」と思われる、おそらく「意識」と言われている部分はどうなるでしょうか。身体が眠れば意識もともに眠りますよね。身体とは裏腹に意識だけははっきりしている、ということはありません。

体が活きている間でさえ、完全に意識を制御することができないのに、死後は打って変わって意識だけが活躍しだすとはちょっと考えにくいですよね。「魂」とは体の一部分であって、生体の現象に過ぎないのだとしか思えません。

過去の記事、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

で、瞑目して詩篇を暗唱する大叔母がいた事をお話ししました。彼女は幼児洗礼を受けてから百歳近くまで、キリスト教徒として何の汚点もなく立派に生き抜き、最後は温かい寝床で子孫たちに囲まれて安らかに亡くなったように見えたのですが、実は、亡くなる前一ヶ月ほどでしょうか、突然認知症になりまして、体は丈夫で日常生活の不便は特になかったのですが、すっかり脳内がお花畑になったようで、驚くべき豹変ぶりを目の当たりにすることになりました。

家人を他人扱いする、食事中にわざと食器を下に落とす、などは可愛い方で、来客にものを投げるなど物騒なこともありましたし、見舞いに訪れた牧師に向かって放屁したときには失礼ながら笑ってしまいました。

「主の祈り」を一緒に唱えましょう、ということで「天にまします我らの父よ」とやり始めますと、「願わくはみなをあがめさせたまえ」と口ずさむのですが、あとが続かないようで、興味なさそうに横を向いてしまいます。

それならおばさんの好きだったザカリアの賛歌を唱えましょう、と、「主なるイスラエルの神はほむべきかな」とやり始めてみましたが、こちらは全く反応がありませんでした。

詩篇を開けて聖書を手渡してみましたが、

「重たい本や」

と言って床に投げてしまいます。誰がやっても大体おなじような反応です。

100年近くキリスト教に親しみ、共に生きたものであっても、彼女の根幹にその精神性は浸透しなかったのです。

ウエストミンスター信仰告白 32の1 の続きを読んでみましょう。

義人の霊魂は、その時に完全にきよくされ、最高の天に受け入れられ、そこで、彼らのからだの全きあがないを待ちながら、光と栄光のうちに神のみ顔を見る。また悪人の霊魂は、地獄に投げこまれ、大いなる日のさばきまで閉じこめられ、そこで苦悩と徹底的暗黒のうちにあり続ける。 

霊魂とは一体何なのでしょうか。100年近く神に従順なキリスト教徒であっても最後は聖書を床に投げ捨てる、その霊魂は「義人」か「悪人」のどちらなのでしょうか。

僕は、牧師に放屁する大叔母が本当の大叔母であったような気がします。生まれるとともに被せられた「キリスト教徒」という仮面が息苦しかったのでしょう。死を目前にして初めて抵抗したのです。最後の一ヶ月だけが本当の彼女の人生だったのではないでしょうか。