キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

イエス様と障害者

catholicreadings.org

福音書には、障害者に対するイエス様の言動が記されています。見てみましょう。

ヨハネによる福音書 9:1-5

エスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる?。わたしは、この世にいる間は、世の光である」

うまれつきの盲人に光りがもたらされる、ということが、何を示しているのかは、本ブログをお読み下さっている皆様には、すでにおわかりいただけるだろうと思います。

そうです。「金に執着する限り幸福にはなれない」ということです。我々はそのことを知らなかったし、イエス様にそのことを教えてもらってもなお、理解したくはない、と感じ続けているのです。

世の中の一体誰が「健常」であると言えるのか、それは、どこに「神と同等の価値観」を備えた人がいるのか、と問うことと同等であるわけですが、そんな人はどこにもいない、ということは明白なのであって、だから、イエス様は「わたしは、この世にいる間は、世の光である」と発言したのです。聞いて、意味を考えなさい、というわけです。

目に見える障害だけが障害ではない。最も深刻な障害は、他人を顧みずに自らの欲望を満たそうとすることである、と、教えているわけです。