今回記事では、僕がキリスト教に関わるようになった理由などをお話してみようと思います。
僕が生まれた家は明治時代から続くプロテスタント信者の家で、父方の親戚一同はほとんどが日本基督教団に属する教会の信徒です。牧師になった人もいます。
親の仕事の関係で、生まれたのは台湾で、小学校入学の直前まで過ごしました。台北のキリスト教会で幼児洗礼を授けられ、幼稚園は同じ長老教会に付属する幼稚園に通ったのですが、後に聞いた親の話によりますと、キリスト教徒だから教会付属の幼稚園に通わせたわけではなくて、日本人が多い幼稚園だったから選んだ、というところが本音で、そこがたまたま教会付属の幼稚園だっただけだということでした。
なにしろ幼いころのことで、台湾の思い出といってもそれほど強いものはないのですが、幼稚園の先生が冷淡で厳しかったこと、卒園の記念撮影、全幼稚園生とその先生とのツーショット撮影があったのですが、両手で肩を強く抱きしめられたことを印象深く覚えています。
また、親は何でもダメダメ的だったのですが、毎日家に来てくださっていたヘルパーのおばさんが甘々で、何でも与えてくれるので大好きでした。笑
食べ物は美味しかったのか美味しくなかったのか、あまり記憶がないのですが、上の写真の月餅はなぜかよく覚えています。写真のように、中身を示す「緑豆」や「魯肉」、「五仁」などの赤いハンコが押してあります。おそらく、日本人の皆さんは、月餅と言って思い出すのは香港式の饅頭皮の真っ黒の甘いあんこが詰まった焼き菓子ではないかと思うのですが、上の写真の台湾の月餅はパイのようなシューのような、軽いふわふわした皮で、中身は香港式と同じ、甘いあんこのものもありますが、豚肉を甘辛く炊いたものもありますし、「五仁」というのはクルミやかぼちゃのたね、ゴマ、昆布の細切り、ゆで卵の黄身(お月見のお菓子なので月の象り)などを塩で味付けしたものです。なぜか、舌の両側が痺れるような刺激があり、鼻に抜ける独特の香りが心地よくて、僕は大好きでしたが、親は苦手だといっていました。神戸の台湾料理屋さんで食べることができます。横浜でも探せばあるでしょう。
小学校からは日本へ帰ってきて、カトリック系の小学校へ通いました。これも、キリスト教を意識したわけではなくて、外国生まれだと言う理由で、市立学校へ行っても友人もいないことでイジメなどあってはかわいそうだから、という理由だったらしいです。この学校の中学校以上は女子のみになります。
学校では、多くの神父や修道女に接する機会がありました。カトリックの教理教育も受けましたし、お祈りも暗記し、時々はミサにも参加しました。もちろん、聖体拝領はできませんでしたが、カトリックの子女が聖体拝領の列に並ぶのを見て、羨ましく思ったことを思い出します。
「主の御使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎したまえり」
などというお祈りは、いまはもうカトリックの人でも知らない人が多いのではないかと思いますが、教えられて今でも覚えています。
帰ってきて、と言いましたが、僕にしてみれば実際は、帰ってきた、と言うには少し違和感があります。もちろん、中国語一つマトモに喋ることもできない、日本に帰ってきた日本人には違いないのですが、台湾で生まれた、ということもまた事実であって、なんとなく「故郷は台湾」と思っています。死ぬまでにはまた行ってみたいです。
中学と高校は所属教派と同じプロテスタント系統の私立学校へ進みました。今は小学校もありますが、当時は幼稚園と中高大だけでした。僕は公立でも良かったのですが、そのカトリックの小学校を出て公立へ進んだら、間違いなく受験に失敗したとみなされるよ、といわれましたので、まあ、仕方なく進んだ、という感じです。偏差値としては、他に仏教系やカトリック、国大付属など、飛び抜けて高いのがありましたので、そういうところにくらべたらそこそこですが、まあまあ恥ずかしくもないだろう、という感じです。それほど豊かな家でもありませんでしたので、小中高と私立では相当な負担だったのではないかと思います。パパ、ママありがとうね。笑
この6年間が僕の信仰生活の全てだったのでは無いかと思います。新共同訳の外典付き聖書を数十回通読しました。毎日聖書を読んでいたと思います。クラブ活動もしていましたし、成績も酷くならないように頑張っていました。今思えばよくできたもんだなあ、などと感心したりしています。笑
大学は東京のパブリックへ進みました。入学金など、一時的にまとまったお金を親に出してもらいましたが、GSやホテルのルームメイクのバイトをしながら、親に出してもらった分は返済し、学費と生活費はすべてバイトで賄いながら、そこそこの成績で卒業することができました。
教会の主張に疑問を感じはじめたのは大学生の頃だったと思います。中高で聖書を何度も読み返し、大学へ進んで友人も増えて視野が広がったおかげだと思います。旧新約聖書をよく読めば、結論として「無神論」を説明している、と理解できるようになりました。そのことを理解できたことは本当に幸せだったと思っています。
家庭内の信仰生活の様子などには触れませんでしたが、それほど意味のあることでもなさそうに思いましたので。