キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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「祭服姿で少年に性行為」キリスト教の本質

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過去記事

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などでもご紹介しましたが、カトリック教会の神父が少年に性的虐待を行う事例は海外に限ったことではありません。サレジオ会が経営する日本の施設においても同様の虐待が行われていた、ということです。

これが、聞いたこともないような新興宗教の経営する施設での話だとしたら、マスコミと世論の猛烈な批判を受けて、すでにアウトになっているのではないでしょうか。カトリック教会という歴史ある組織だから、それほどの大騒ぎにならずになんとなく済んでいるのだと思います。

神父が祭服姿のままで少年を性虐待した、ということですから、それはミサの始まる前に行われたのでしょう。少年を辱めたその口で福音書を読み、説教をおこない、少年を虐げたその手でパンを聖体に変化して信徒の口へ授けたということです。汚らわしいことです。そういうことができてしまう、ということが現実なのです。これがキリスト教の「信仰」だということなのです。

今回、冒頭でご紹介した文春の記事で驚くべきは次の箇所です。読んでみましょう。

気持ちの整理のために匿名で書きつけていたブログを読んだ東京サレジオ学園の関係者から、「今も添い寝と称して自室に連れ込む職員がいる」という声を耳にした。過去と対峙する気構えで自らの体験を手紙に書き送ったが、教会――学園、修道会(サレジオ会)、中央協議会はいずれも、本格的な調査に乗り出すことはなかった。

 また、

カトリックのみならず、プロテスタントの牧師、仏僧といった宗教者のほか、学校教師、医師、トレーナーなど子どもと接する立場にある多く人が加害者になった事例を見てきた」

という意見も紹介されています。

このような顕著な例ばかりでないでしょう。教役者も信徒も、何かしら様々なストレスに心身を蝕まれているように、僕には思えます。キリスト教の考え方には不条理な要素がたくさん含まれているからでしょう。不自然で不条理な事柄を無理やり信じ込まされていれば、正常な人間であればストレスを感じます。当然のことではないでしょうか。

この被害者のように、自分で決めて捨て去ることができなかった人には、実にお気の毒だった、と申し上げることしかできませんが、今、自由に捨てることができる、賢明な方々には、ぜひ、よくお考えになってはいかがですか、と申し上げたいと思います。