「バイデン大統領に「破門状」突きつけた全米カトリック教団」という記事がありました。少し見てみましょう。
米国はキリスト教プロテスタントの国と思われがちだが、全人口の22%(7041万人)はカトリック教徒が占めている。
その10人に1人は共和党員。キリスト教プロテスタント原理主義者(エバンジェリカルズ)とともに2020年の大統領選挙ではドナルド・トランプ氏を当選させた原動力だった。
そのカトリック教団全米司教会議が6月16日、カトリック教徒としては史上2番目のジョー・バイデン大統領に事実上の「破門状」を突き付けた。
(カトリック教徒の初代大統領はジョン・F・ケネディ)
同会議はカトリック教徒にとっては最重要の「聖体の秘跡」(Communion)を施さない、との決議草案を賛成多数で採択したのだ。
正式の決定は11月に行われる会議で決まるが、「今回の決定が覆される可能性は小さい」(カトリック教会関係者)。
理由はバイデン氏が、カトリック教徒しては越えてはならない人工妊娠中絶問題に寛大なスタンスをとり続けてきたことだ。
これは「戒律に反する」もので、日曜礼拝をするのはいいが、「聖体の秘跡」には参加させないというのである。
日本の宗教団体が、これほど政治問題に介入したら大変なことになると思います。仮に、カトリック信徒である麻生さんが、教会の方針に反するような発言をしたからといって、その理由で、日本のカトリック教会が麻生さんを破門にする、というようなことはおそらく無いのではないかと思います。アメリカという国は、政教分離といいながら宗教に政治が振り回されているようで、ちょっと変な国ですよね。
死刑の問題についてもそうなのですが、この中絶の問題も、それを行う必要がある、という認識が社会には存在する、という現実をどのようにすればいいのか、という視点が失われているのではないかと思います。
実の父親に、あるいは薬物中毒者によって強姦されて妊娠してしまったような場合、そのような子であっても、生んで育てよ、と命じるのは社会として正しいのでしょうか、しかしこの場合はそうしろと言っていることになります。
しかし、何が何でも絶対に中絶してはならない、というのであれば、そのような子を引き取って養育するような行政システムについて考えるべきなのではないでしょうか。
そもそも、中絶を禁止する宗教的理由とは何なのでしょうか。胎児が地獄に堕ちるからでしょうか、神が実在するのであれば、生まれずして摘み取られてしまった胎児を憐れまないはずはないでしょう。もし生まれたなら受けたであろう数々の苦難を免れて、神の懐に抱かれて楽園に安らいでいるはずだと言えるでしょう。
では、医師か妊婦が殺人犯になってしまうことを防ぐためにでしょうか。ちょっとそうとは思えませんよね。結局は、教会の意向に逆らうような真似をするな、と言っているだけのことなのでしょう。しかし、カトリック信徒にとって聖体を拝領することは、生きていくために必要不可欠なことであるはずです。ですので、それを禁ずるということは、その人が死んでも別に構わない、と判断した、ということになると思うのですが、その点はどうなのでしょうかね。
もう少し引用してみましょう。
カトリック教会と言えば、司祭たちによる少年に対する性的暴行が絶えない。
礼拝をはじめ教会の儀式には神父をアシストをする少年たちも欠かせない。そこで神父の地位を利用したセクハラ行為が横行している。
米主要メディアのある宗教担当記者はこうコメントする。
「カトリック教会の最高機関が自分たちのことは棚に上げて、と世俗的には考えられるのだが、人工妊娠中絶問題はカトリックの信仰ドクトリンだ」
信仰ドクトリンというのであれば、強姦は十戒に反する行為です。その結果生じる生命を、教会はどのように宗教的な意味づけをするつもりなのでしょうか。洗礼台帳の父親の欄には何と記入させるのでしょうか。