キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

ファティマの聖母

ja.wikipedia.org

本ブログでは過去にも

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

などの記事で奇跡について考えて来ましたが、今回は上にも貼った、聖母マリアポルトガルのファティマという小さな町の、三人の子供に現れた、という奇跡について見てみましょう。

上記のwikiから引用します。

ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、Nossa Senhora de Fátima)は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した[1]。何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥(免償)を宣言した。1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、この出現のメッセージに基づき世界の奉献を行ったりした。

しかし、カトリックの国の、カトリック信者の子供に、カトリック聖母マリアが出現した、と言われたところで、どうしても「お手盛り」の感は拭いきれませんよね。これが仮に、北朝鮮国家元首に現れたところ、元首が驚いて国教をカトリックにした、というのならまさに「奇跡」だと言えるのでしょうけれど。

これぐらいの年の子供って不思議なことが大好きですよね。僕の小学生時分にも「コックリさん」が流行ったりして、本当なんだろうか、と一緒になって怖がったりしていたことを思い出します。

以前、学生だったとき、現役トップで合格されたという東大生のカトリック信者の方とお話する機会がありましたので、ファティマやルルドの聖母出現についてどう考えているかと聞いてみました。僕は、あんな子供だましのような話がカトリックの価値を下げていて困っているよ、というような反応を予想していたのですが、実際には、ファティマやルルドバチカンが認めた真実の奇跡であるのに、プロテスタントや正教は、なぜカトリックに改宗しようとしないのか、理解できない、と言われたのです。

どれぐらいのカトリック信者がそのように考えているかはわかりませんが、そのとき僕は少なからず驚きました。

しかし、これは本当に「真実の奇跡」なのでしょうか、wikiの記述内容から考えてみましょう。

1916年春頃、ファティマに住むルシアフランシスコジャシンタら3人の子供の前に平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。

これは、福音書に反する内容だと評価せざるを得ません。祈りの文言を示唆することは誤りではないと思います。イエス様も「主の祈り」を教えました。しかし、姿勢を指定するというのはどのようなものでしょうか。姿勢とは、祈りの結果生じる感情によって沸き起こる表象なのであって、他人に強制されるようなものではないはずです。つまり、その姿勢をしただけでは何の価値も生じないはずです。そんなことを、わざわざ自然の原理を超えてまで示す必要があったでしょうか。

聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した[4][5][6][7]

良いものと悪いものがあるとき、良いものを示して良い方へ誘うのが神の業だと思うのですが、この聖母らしきものは、悪いものを見せて少年らを恐怖せしめたとあります。

大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。

当たり前です。どんな戦争でも「まもなく」終わります。しかしこう言っておけば、なかなか終わらないと感じる人には、お前らの努力不足だ、ということにすることができるわけです。

秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。ヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日[12]である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述した理由から疑問視する意見[13]もある。

聖母の指示に反してまでもったいぶった割に、教皇の暗殺未遂とはまた、どうでもいいような予言です。

1917年10月13日、集まった約七万人[16]の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。

これは、自然現象であるなら興味深い現象だと思います。水蒸気がなにかの理由でレンズの役割を果たすことによって太陽光を歪めてしまったのではないでしょうか。

しかし、これが奇跡であるというのであれば、その意味が全くわかりません。福音書にはいくつもの奇跡が記されていますが、病人を癒やしたり、不足を補ったり、必要性に対する原因がはっきりとしているものばかりです。この場合どうなのでしょうか。太陽が回転したように見えた結果、何がどうなったのでしょうか。これは超常的な自然の現象であるかもしれませんが、奇跡ではありません。奇跡とは、出来事を象徴的に、あるいはデフォルメを施した上後世に伝えようとする手段なのです。ですから、奇跡譚に触れたときに、そのオリジナル、実際にあったこと、はどのようであったのか、と推理を巡らすことはむしろ正しいことだと思うのです。

ファティマの場合、子どもの思い描いたささやかな空想だったものが巷間に広まり、折から発生した不思議な自然現象と相まって話が膨らむにつけ、バチカンも無視しきれなくなって、手がつけられなくなる前に公認してしまえ、というところだったのでしょう。「真実の奇跡」と断定するにはちょっと弱いと思います。町興しとしては大きな効果があったとは思いますけどね。

奇跡なんて全部そんなものですよ。笑

ファティマのロザリオの聖母の聖域(Santuário de Nossa Senhora do Rosário de Fátima)

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