宗教は産業である、という事は、当ブログにおいて常々主張していることなのですが、上にリンクを貼らせていただいた武内和人さんのnoteに「あらゆる宗教を産業と見なし、経済理論で分析した『信仰の行為』の紹介」という記事がありましたのでご紹介します。
引用しましょう。
著者らは、人間の感情的、精神的、文化的な欲求を満たすための産業として宗教を捉えることを提案しています。この産業で主な消費者となるのは高学歴者であり、特に自然科学の分野で大学教育を受けた人々はそうでない人々よりも信仰の保有率が高いと著者らは指摘しています。宗教家はこの顧客を自らの宗教団体の信徒とするために、さまざまな競争戦略を採用しています。
宗教とは産業、つまり、商売であり、商品は「人間の感情的、精神的、文化的な欲求を満たすための」ものである、と説明されています。
その通りだと思います。専任職業者(神父や牧師)が存在すことがそれを裏付けています。
さらに引用します。
著者らは信徒が他の宗教へ改宗する事態を防ぐために、定期的な礼拝や集会への参加率を高めることも戦略的に重要であると論じています。このような場面で信徒は単に交流を重ね、社会的ネットワークを強化するだけでなく、その宗教が提供している商品、つまり信仰が「実際に効く」ことを裏付ける証言を共有することができます。これは信仰に投資することで将来的に期待される利益、幸福、救済を信徒により強く確信させることに繋がります。ただし、宗教的な救済や利益を確信させるだけでは十分ではありません。信徒の中では最小限の負担で得ようとして、「神を騙す」こともあります。このような逸脱行為に走る信徒が増えると、宗教団体の存続を危うくする恐れがあるため、信徒同士を絶えず接触させ、教義から逸脱しないように相互に監視させることが有効です。
宗教という産業の卑劣なやり口、商品管理の方法ですが、理解できますね。信者という肩書の顧客、その顧客同士をピア・プレッシャーによる緊張下に配置して支配する、という反社会的なそれである、ということになるでしょう。