キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

献金と詭弁

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聖公会の「インマヌエル新生教会」という教会のサイトに次のような記述があります。引用してみましょう。

immanuel-s.jp

2.教会はお金がかかるのですか。献金とは何ですか。

教会には会費はありません。礼拝の中で集められるお金が献金です。献金は自発的な献げ物で強制されることはありません。教会は、私たちの信仰が感謝と賛美をとおして証しされる場です。そして神と人のために、それぞれが持っている力を捧げ合う姿によって教会は立っています。それは具体的に、祈りのうちになされ、奉仕の行動と、献金をお捧げする行為によって、表わされます。献金は、教会が維持運営されるための、信仰的な大切な行為です。

教会の献金には、毎主日(日曜日)の礼拝での献金(信施とも呼びます)と、教会暦(教会のこよみ、聖日などの教会のカレンダー)に沿った献金、月約献金(月ごとに捧げる献金)、感謝献金(クリスマスやイースターを含めた、特別に感謝する場合の献金)などがあります。特に信徒の務めである月約献金は、教会の維持・運営のために継続してなされる重要なものです。また献金は、教会の運営・維持のためだけではなく、社会的な福祉活動、支援活動団体、災害救援のためにも捧げられます。

失礼ながら、これほど辻褄の合っていない、また、読むひとに真実をつたえようとしない悪文は珍しいのではないかと思います。

まず、「献金は自発的な献げ物で強制されることはありません。」と言っているのですが、「月約献金を行うことは信徒の務め」だと説明しています。「務め」とは、weblioによれば

www.weblio.jp

「当然果たさなければならない事柄のこと」とあります。つまり強制だということですが、果たして献金は自発的な捧げものなのだからおこなわなくても良いのか、務めなのだから必ず行わなくてはならないのか、どちらなのでしょうか。この説明ではわからないですよね。

また、「神と人のために、それぞれが持っている力を捧げ合う姿によって教会は立っています。」と言っていますが、「捧げ合う」ということは、相対する二者が共通の一つの対象である「神と人」に向かって捧げものを行う、という意味であることになりますが、相対する二者とは何と何でしょうか、牧師と信徒なのか、神と人なのか、わかりませんよね。

この文章からは、全く誠実さが伝わって来ません。事実を丁寧に伝えようとして書いていないからです。むしろ、事実はあいまいにして、とりあえず引きずり込んでから型に嵌めればいいだろう、というような謀略を感じ取ることしかできません。

本当に献金とは何か、を伝えたいのであれば、僕であれば次のように書くでしょう。

 

20XX年 収支実績

収入:

 礼拝献金:  XXX,XXX,XXX 円 (1信徒あたり XXX,XXX円)

 教会暦献金: XXX,XXX,XXX 円 (1信徒あたり XXX,XXX円)

 月約献金:  XXX,XXX,XXX 円 (1信徒あたり XXX,XXX円)

 感謝献金:  XXX,XXX,XXX 円 (1信徒あたり XXX,XXX円)

 

支出:

 牧師謝儀:  XXX,XXX,XXX 円

 教会光熱費: XXX,XXX,XXX 円

 備品設備費: XXX,XXX,XXX 円

 

過不足:   +-XXX,XXX,XXX 円  

 

教会サイトの献金説明の項目に、上のような収支の説明がある教会であれば、具体的に献金がどれぐらい必要で、一人あたりいくら負担すれば教会運営が健全に行われるのかが明確になり、金に関してはクリーンであるかもしれない、と評価できるでしょうが、献金が義務なのか行わなくても良いのかがあいまいな説明しかないような教会はちょっとどうかと思いますよ。