キリスト教の問題点について考える

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ヤハウェはアッラーより格下であること

www.archaeology.org

ウガリットをご存知でしょうか。ウガリット - Wikipedia には、

ウガリットウガリット語𐎜𐎂𐎗𐎚 ugrt [ugaritu]、Ugarit)は、地中海東岸、現在のシリア・アラブ共和国西部の都市ラス・シャムラ(رأس شمرة、Ras Shamra、ラタキアの北数km)にあった古代都市国家。当時の国際的な港湾都市であり、西アジア地中海世界との接点として、文化的・政治的に重要な役割を果たしたと考えられている。紀元前1450年頃から紀元前1200年頃にかけて都市国家としての全盛期を迎えた。この遺跡から見つかった重要な文化には、独自の表音文字ウガリット文字と、ユダヤ教聖書へとつながるカナン神話の原型ともいえるウガリット神話集がある。 

とあります。

bibleinterp.arizona.edu

というサイトを見てみましょう。以下、引用文はgoogleの翻訳機能で日本語に翻訳した文章です。

    何十年もの間、学者たちはイスラエル人の一神教に関する聖書の物語を解明しようと試みてきました。聖書の伝統的な解釈によれば、一神教シナイ山におけるヤハウェとのイスラエルの元々の契約の一部であり、その後預言者らによって批判された偶像崇拝は、イスラエルが自らの伝統とヤハウェとの歴史から後退したことによるものであった。しかし、学者たちは、このプレゼンテーションの根底には多くの疑問があることに長い間注目してきました。他の聖書本文で主張されているような他の神が存在しないのに、なぜ十戒は「わたし(主)の前に」他の神があってはならないと命じているのでしょうか?なぜイスラエル人は紅海を渡るときに「主よ、あなたのような神はいない」と歌う必要があるのでしょうか?(出エジプト記 15:11)。このような聖句は、イスラエル人が他の神々について知っており、単にそれらを拒否したわけではないことを示唆しています。

聖書の神が、元は多神教の神であった、ということは、公然の秘密のよう、といいますか、リベラルな界隈においては常識的なことであると思います。

引用を続けましょう。

ウガリット多神教は、神の評議会や集会、そして神の家族の概念を通じて一元論として表現されます。この 2 つの構造は、基本的に 4 つのレベルを持つ単一の実体として理解されます。70人の神の子供たち(バアル、アスタルテ、アナト、おそらくレシェフ、そして太陽の女神シャプシュと月の神イェラクを含む)は明らかにエルの星として特徴付けられています。神の家のヘルパー長、コタール・ワ・ハシス。そして神の家の召使たち、

    この神の家族と評議会の 4 層モデルは、初期のイスラエルにおいて明らかに多くの変化を経験しました。初期の段階では、ヤハウェはこれらの70人の子供の一人であり、それぞれが70の国の守護神であったように見えます。この考え方は、死海文書の朗読や申命記 32:8-9 の七十人訳の背後に現れています。この節では、エルは神の家族の長であり、神の家族の各メンバーは独自の国家を受け取ります。イスラエルヤハウェの一部です。マソラ本文は、「神の子の数に応じて」という表現で表現されている多神教に明らかに不快感を示し、読み方を「イスラエルの子の数に応じて」(70人とも考えられている)に変更した。詩篇 82 篇には、ヤハウェが立ち上がって他の神々を告発する神の集会を主宰する神エルも描かれています。ここで本文は、その一節が非難している古い宗教的世界観を示しています。

    王政後期のある時点までに、神エルがヤハウェと同一視されたことは明らかであり、その結果、ヤハウェ・エルは女神アシェラの夫となる。これは、エルサレム神殿(明らかに)と上記の碑文における彼女のカルトのシンボルに対する聖書の非難によって表されている状況です。この形では、ヤハウェへの宗教的献身により、彼は他のすべての神々を支配する神聖な王の役割を果たします。この宗教的見解は、例えば詩篇 29:2 に現れており、そこでは「神の子たち」、あるいは本当に神の息子や子供たちが神の王ヤハウェを崇拝するよう求められています。多神教のさまざまな表現を持つ神殿はまた、この場所がヤハウェの権力下にある人々が住むヤハウェの宮殿であると想定していました。エゼキエル書 8 章から 10 章までのツアーはそのようなイメージを示唆しています。この王権の構図は、8 世紀から 6 世紀の一神教によってさらに発展しました。他の神々はヤハウェの力の単なる表現となり、神の使者はヤハウェの力を表現する小さな神の存在にすぎないと理解されるようになりました。つまり、主神が神主となったのです。

聖書がウガリット神話の影響下にあることは疑いようのない事実だと言えると思うのですが、聖書で「エル(複数形はエロヒム)」が神を表す一般名詞として扱われるのに対し、ウガリット神話では、主に、多神教最高神を表すために用いられる、と説明されていて、「ヤハウェ」は主神「エル」の70人の子供の一人であって、イスラエルの守護神としての役割を与えられたのだ、と説明されています。

引用中で話題になっている詩篇82を見てみましょう。

詩篇第82 アサフの歌
神は神の会議のなかに立たれる。
神は神々のなかで、さばきを行われる。
「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、
悪しき者に好意を示すのか。〔セラ
弱い者と、みなしごとを公平に扱い、
苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。
弱い者と貧しい者を救い、
彼らを悪しき者の手から助け出せ」。
彼らは知ることなく、悟ることもなくて、
暗き中をさまよう。
地のもろもろの基はゆり動いた。
わたしは 言う、「あなたがたは神だ、
あなたがたは皆いと高き者の子だ。
しかし、あなたがたは人のように死に、
もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。
神よ、起きて、地をさばいてください。
すべての国民はあなたのものだからです。

一神教の宗教文書である、という前提で読むと不思議な文章でしかないのですが、「ヤハウェが立ち上がって他の神々を告発する神の集会を主宰する神エルも描かれています。」と理解してよいのであれば納得できますよね。

以上のことがらからわかるように、「ヤハウェ」は一地方都市であるイスラエルの守護神であるのに対し、「エル」は70ある全ての地方都市それぞれに配された守護神たちを総括する主神であるということ、そして、イスラームの神が「アッラー」と呼ばれることは「エル」を継承しているからなのであって、ヤハウェよりも格上の神なのだと言えると思います。