キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

聖母マリアの正体

パン焼釜は穀物女神の化身と考えられ、みごもった母神の腹部に似せて作られた

Portal Trag より

 

キリスト教世界における聖母マリア崇拝は、ヨーロッパにおける地母神崇拝の後継として存在する、ということはよく知られたことであります。今回記事では、北海道大学の久木田、直江両氏による「穀物女神の継承者としての聖母マリア : 神秘の釜の図像をめぐって」という文書から考えてみましょう。画像は、本文に採用されているものと同じ画像で、鮮明なカラー画像をネットから集めて掲載し直しました。採用元サイトも明記しておきました。では本文から引用します。

麦穂のマリア amazon.es より

地母神の生命力は民間信仰の中に生き永らえ、 初期キリスト教にも融合されマリアの複雑な様相の中に息づく。 中世でも、大地母神崇拝はマリア崇敬の中に生き続け、「麦穂のマリア」として知られるグレイン・マリアの中に一つの様相を呈している。マリアのガウンの麦穂は、マリアがキリストを受胎し救いの麦を成育させる「共同 蹟い主」(Co-Redemptrix)の象徴であり、受肉の過程で麦を変容させ、胎内で生命のパンを焼成する「聖なる器」 としてのマリアを暗示している。 
麦粒の宗教的象徴性についてケレーニイは、「デーメテール賛歌」の穀物は、「消滅と復活を思わせる回帰」を象徴すると解釈している。また、乳母としてのデーメテー ルの奇妙な振舞 (不老不死の身体を与えるために、赤子を火の中に入れる)も、穀物の運命を暗示している。穀物はパンとなる ためいったん火によって死ぬが、死を克服して人間の生命の糧となる。大地なる母の胎内から生まれ、粉に挽かれ、釜で焼かれてパンになる穀物の運命は、マリアの胎内で実を結び人となるキリス トを連想させる。

神秘の臼 WIKIMEDIA より

スワビア地方の祭壇画「神秘の臼」(Mystical Mil)では、マリアが漏斗に麦を注ぎ入れ、そこから幼子キリストと聖体が現れでて信者に与えられる場面が描かれている。

さて、キリスト教のシンボルの中では、大母神の子宮はキリストが育まれる汚れない「器」を意味する。ノイマンによると、変容の秘儀は女性の原秘儀の一つであり、変容の器は母胎と同一視される。大母神の胎は「人間を作り、生み、再生させる鍋」であり、マリアの胎は受肉 の変容をおこす聖なる器である。「お告げ」に描かれた花瓶は図像学において、受肉の器、聖体の入る器を表す。

さらに、変容は家の中心にある炉や釜の中で、火を用いることによって行われる。マリアの胎は火と結びつくことで焼釜にかわり、農耕の実りがパンに変化する秘儀と結びつく。

 

お告げ Wikipedia より

 

炉ばたの聖母子 MEISTERDRUCKE より

キリストの受肉とパンの類似は初期ネーデルランド派の絵画にも現れる。ロベルト・カンパンの「メロード祭壇画」の中央の「お告げ」の場面にも、マリアの背後に母胎と思われる炉が描かれている。また、「炉ばたの聖母子」の背景にも二本の柱がかすかに見えるが、この炉もマリアの子宮を象徴するパン焼釜である。堂々と胸を露にし、幼子キリストを抱く聖母は、キリストに糧を与える母神であり、天の糧であるキリストを信者たちに与える原始以来の大母神のように見える。

 

いかがでしょうか、日本の宗教が、明治の神仏分離令や戦時中の国家神道政策によって、建前上は別々の宗教になってしまっているものの、実際には神仏習合であり、神様も仏様もご先祖様も一まとめで自然な信仰であることと同じように、ヨーロッパにおいては、キリスト教の神と五穀豊穣の神は、実際にはそれほど厳しく区分されていないのではないでしょうか。内心の底で求めるものは、豊穣をもたらす大地の神だということなのでしょう。例として説明されている絵画には、そういった本音が自然に表出されているわけです。また、このようなことは、キリスト教成立当初から今日に至るまで、連綿として一本筋の通った表象であると言うことができると思います。

旧約聖書には、幼子を火の中に入れてはいけない、という表現があって、なぜそのようなことをするのかよくわからなかったのですが、この文書によれば、炎による死と再生を願う宗教的な行為であったのだと理解できますし、キリスト教もまた土着の民族宗教の延長ではないとは言い切れないと言えることがわかります。

よろしければ全文を読んでみてください。