キリスト教の問題点について考える

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ガダラ人と悪霊と豚

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マタイによる福音書の八章に、ガリラヤ湖の向こう(東)側、ガダラ人の地におけるエピソードが記されています。過去記事「ガダラ人の地」では、このエピソードについて、後にイエス様が捕らえられる原因の一つとなった、イエス様自身の短絡的な動機による無分別な行動だったのではないか、と書いたのですが、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

それでは、この箇所の福音メッセージとしての意味としてはどのようなものがあるのでしょうか。再度記事を読んでみましょう。三つの共観福音書すべてに同じエピソードが記されていますが、マタイから引用します。

マタイによる福音書 8:28-34

それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。悪霊どもはイエスに願って言った、「もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。飼う者たちは逃げて町に行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいを知らせた。すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。

 「おびただしい豚の群れが飼ってあった」という説明から、この「ガダラ人の地」は異教徒の居住区域であったことがわかります。また、この少し前、マタイ 8:22 のイエス様の発言

エスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。

から、この悪霊につかれたふたりの者とは、神がかりになって、神や死者の霊を装い、礼金をだまし取っていた詐欺師だったのだろうと想像することができます。おそらくそのようなことはこれらの地方の宗教的慣習であって、二人の男は宗教祭司だったのでしょう。

豚が水の中で死んでしまった、という記述からは、イエス様の指摘によって、ふたりの神がかりの嘘が顕になり、その地方の民衆が長年にわたってそれらの嘘に振り回され続けていたのだ、という事実が明らかになった、という意味を読み取ることができるでしょう。

そして、町中の人々がイエスに会って、この地方から出ていってくれと頼んだ、ということの理由は、我々は、彼らの宗教的行為が真実では無いことも、欺瞞に満ちていることも承知しているが、それでいいと思っている。たしかに、あなたの言っていることは正しいと思うし、そのようにすべきだろうとも理解できるのだが、少なくとも、我々は変化を求めていない。大きな問題がないのであれば、現状を維持できればそれで十分だと考えている。今はこの地方にあなたは必要ない。ということだったのではないでしょうか。

つまり、この「イエス様を拒否する町中のもの」は、現代のキリスト教徒の、「墓場から出てきた乱暴者の詐欺師」は神父や牧師の予型として福音書に記されているのだ、ということなのです。