キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

ガダラ人の地

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Gadarene Demonic Archives - Orthodox Church Quotes

マタイ伝 8:28-34 には

それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。悪霊どもはイエスに願って言った、「もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。飼う者たちは逃げて町に行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいを知らせた。すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。

 とあります。また、マタイ伝 21:18-22 には、

朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。

とあります。これらの記述は、おそらく事実を抽象化しているのでしょう。豚もいちじくも、イエス様を批判する勢力で、おそらくは国家権力のようなものであったのではないでしょうか。

「世の中すべてが俺を否定している」、そのような妄想に苛まれ、

世の中なんてぶっ壊れてしまえばいいんだ、

そう考えたイエス様は、弟子をコントロールして、毒を撒き、多くの人を殺戮したわけです。それで、「早く出ていけ」と言われたのでしょうね。やがてアジトに隠れていたところを引きずり出されて捕縛され、死刑になってしまいます。

しかし、彼を支持する弟子たちは、どうにかしてその過激思想を温存しようと目論んで、悪行であっても抽象化、美化して後世にまで伝えようとしたのでしょう。これこそ「洗脳」がなせる業です。

おわかりでしょうか。どんな陳腐な凶悪犯であっても、エネルギーさえあれば神に祭り上げてしまうことが可能なのです。300年ほども経てばテロリストが神になる。これが宗教の正体です。