キリスト教徒とは、生活に関するあらゆる指針を聖書に、カトリックや正教であれば聖書と聖伝に求めよう、とする人たちのことですよね。
それでは、聖書にみる政治の形態はどのようなものでしょうか。おそらくは絶対君主制に該当するでしょう。Wikiから引用してみましょう。
絶対君主制(ぜったいくんしゅせい、英: Absolute monarchy)とは、君主制の一形態で、君主が統治の全権能を所有し自由に権力を行使する政体である。対比語は、君主の権力が憲法などで制限されている制限君主制または立憲君主制である。
キリスト教とは、神を「絶対君主」と見なす「絶対君主制」的な政治形態である、と考えることができるわけです。しかも徹底的な男尊女卑社会でもあります。引用してみましょう。
出エジプト記 12:37
イスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに向かった。女と子供を除いて徒歩の男子は約六十万人であった。
マタイによる福音 14:21
食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。
女性は人としての数には数えられざるべき存在である、と説明されています。
いかがでしょうか、キリスト教が平等だとか、愛だとかいう評価が耳目に触れるたびに違和感を覚えます。彼らは、キリスト教の神が「主」であって、キリスト教徒は「奴隷」である、という構造を理解していないのでしょうか。聖書には、主が奴隷に対して、意に反する異民族を殲滅せよ、という命令を発し、奴隷がその命令に従って、その通りに行った、と記録されています。みてみましょう。
民数記 21:3
主はイスラエルの言葉を聞きいれ、カナンびとをわたされたので、イスラエルはそのカナンびとと、その町々とをことごとく滅ぼした。それでその所の名はホルマと呼ばれた。
「ホルマ」とは「殲滅」という意味です。
いかがでしょうか、僕には、キリスト教が理想とする政治形態は幼稚で未発達なものと感じます。今どき専制君主制で政治を行っている国なんて、イスラームかバチカンぐらいなものでしょう。そんなことに我慢できるのは、地球から石油を、あるいは信者から献金を絞り上げて得たあぶく銭で白昼夢を見ながら暮らせる人だからではないのでしょうか。
日本はどうでしょうか。最高神が女性であって、人生の大切なことは年に一度、すべての神が出雲に集まって「神議り(かむはかり、会議のこと)」を行った上決まる、というのですから、古来から理想としていた政治形態は、実は議会制民主主義だったのだといえるでしょう。アマテラス、トヨウケの主要二神をはじめ、宗像三神、神功皇后など、多くの女性も参加しています。
日本には洗練された現代的な、明るい宗教観が存在するのです。外国人でも異教徒であっても排斥せず受け入れます。何も好き好んで、陰湿で時代遅れな外国の差別思想に心身を沈めて、贖いだ、償いだ、地獄だと嘆き悲しむ必要はないんじゃないかと思いますよ(笑)。