キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタント信徒が運営するキリスト教批判ブログです

席上献金の使いみち

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日曜礼拝に出席しますと、「説教」の次あたりに「献金」があります。「席上献金」ともいいますが、「月例献金」と区別するためにそう言うようです。

教会には「月例献金」があるのに、その上なぜ「席上献金」を行うのだろうか、と疑問に思われたことがないでしょうか。その他にも、「イースター特別献金」、「クリスマス特別献金」、「感謝祭特別献金」がありますし、教会によってはさらに「聖餐式感謝献金」、「会堂費」、「神学生養成献金」などと言って、様々な名目で献金を要求される場合があるようです。

結局のところ、どの名目で集めた金をどう使うのかは教会の勝手だということに尽きるのですが、元々は、月例献金と席上献金は全く異なる目的で集められていました。

月例献金というのは、教会の運営に必要な経費を賄うためのものであって、教会の会計の収入となるものです。すなわち、教会の光熱費、修繕費、牧師の謝儀などに充てられるものです。

一方、席上献金とは、教会会計には入れず、そのまま寄付金として救護施設や孤児院などに渡すための献金だったのです。

ですので、月例献金はその教会の会員だけが負担し、席上献金はその日教会に集まったすべての参加者が捧げました。

その名残で、何月何日の礼拝席上で集まった献金額はいくらだった、と週報や月報で報告されるのですが、元々は、どの施設にいくら寄付できて、具体的にどのようなことに使われたのか、という報告をおこなったのです。

今、月例と席上は区別しなくてはならない、と考えている牧師も役員もいないでしょうし、かつてそうだった、ということを知っている人もいないでしょう。どの献金だろうと区別せず、同じように教会の収入として処理されていると思います。

プロテスタント教会は、かつてのカトリック教会のようにではなく、教会運営は最低限の必要だけで賄い、その他集まった金はすべて貧窮者に寄付します、という清廉な精神を誇りにしていたはずなのですが、いつの間にかカネカネ教になってしまったのはまことに残念なことだと思います。

プロテスタント教会の礼拝は、それすなわち貧窮者を救うための寄付行為そのものであったわけです。今は、赤十字など、慈善事業が充実してきたので、プロテスタント教会がその役割を終えつつあるのだ、ということも理解できるのですが、だからといってなし崩し的に意味が変更されてしまうのは納得できないことですよね。

必要が無くなってしまったというのであれば、もう席上献金はしなくてもよい、ということになって然るべきです。

もともとは聖公会の方針として生まれた考えが全プロテスタントに伝播したものであるようですが、この、そもそも教会に集まる金は困窮者の救いのために用いられるべきである、という方針を現在でも実践し続けている教会は、わずかに「救世軍」だけだと思います。

だからといって救世軍入信をお勧めするわけではありませんが、社会におけるキリスト教の存在意義をよく理解している教会はどこかといえば、そういうことになるでしょうね。