キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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奇跡をどう捉えるべきか

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今までに、

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などの記事で、福音書に記されている奇跡譚は、書かれていることをそのままの意味で読み取っても、何が言いたいのかを知ることができないだろう、ということを説明しましたが、今回は、イエス様ご自身が、実際そのように説明されている箇所がありますのでご紹介いたします。次の箇所です。

マタイによる福音書 12:39-45

「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」

預言者ヨナのしるしとは、異教徒であるニネベの民衆が、異教徒であるそのままの状態でヨナの預言に耳を傾けて、その真実に気づいて心を改めた、ということです。

お気づきでしょうか、これは心の働きの問題であって、奇跡でも何でも無い、というところが実際です。しかし、イエス様は、この故事が示す真実だけが奇跡と呼べる唯一のことがらなのだと教えているのです。すなわち、あなたの見たがっている「奇跡」というようなものは、この世には存在しないのだよ、と説明しているわけです。

そうなのであれば、福音書に記されている、イエス様が示されたという数々の奇跡はどのように考えればいいのだろうか、ということになります。

おそらく、今日の福音書が成立するより前、「Q資料」(Q資料...バートン・L・マックによる)のようなものがあって、それを口伝で民衆に伝達する語り部のような人物がたくさん存在したのではないでしょうか。

そして彼らは、イエス様がいかに苦労して良い事柄を人々に伝えようとしたのかということを、熱して語り伝えようとするあまり、『荒波の上を歩いて、水をぶどう酒にかえた』のだ、と表現してしまったのであって、後に福音書としてまとめられる頃には、あたかもその通りの出来事があったかのように、はなしそのものが変遷してしまっていた、というこのなのではなかったか、と推測します。

しかし、語り部たちは、聴衆を騙すつもりでは無かったのでしょう。イエス様が、

邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。

と口にされたことをも伝えておかなければならない、と判断したのですから。

福音書は、読み手の叡智次第で、良書にも三文記事にも変化するわけです。