皆さん、クレオパトラをご存知でしょう。Wiki「クレオパトラ7世」によれば、
クレオパトラ7世フィロパトル(ギリシア語: Κλεοπάτρα Ζ' Φιλοπάτωρ, ラテン語: Cleopatra VII Philopator, 紀元前69年 - 紀元前30年8月12日)は、古代エジプト、プトレマイオス朝最後のファラオ(女王)。
とあります。
プロフィールから、生没年を見てみましょう。
誕生年は誤差一ヶ月で特定されていて、没年は日付が誤差無く特定されているようです。
クレオパトラは、およそ紀元前70年にうまれているのですから、もしも長生きをしていたのであれば、ひょっとするとイエス様と面会していたのかも知れませんね。
イエス様のプロフィールを確認してみましょう。Wiki「イエス・キリスト」によれば、
イエス・キリスト(紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃…
とあります。
クレオパトラは、北アフリカの小さな国「エジプト」の王、ファラオであるのに対し、イエス様には、全宇宙の主宰者、神、王であるキリストという仰々しいタイトルがあるにもかかわらず、生誕日は「紀元前6年から紀元前4年頃」、没年は「紀元後30年頃」と曖昧です。なぜでしょうか。
こう言うと、小国イスラエルの、民衆の一人でしかなかったイエス様の、誕生日や命日の記録が残っていないのは当然のことだ、と言う人がいますが、それはどうでしょうか。ルカ福音書によれば、母マリヤは、アビヤの組の祭司ザカリヤの妻でアロン家の娘、エリサベツの親族、ということになっています。また、ダビデからの系譜が示されるほどの名家の出身者だと示されています。生没年を管理されない下層の人であったとは考えにくいでしょう。
また、別の記事でも触れましたが、ヨハネの福音書には次の様な記述があります。
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。
マリヤを引き取った弟子は、イエス様の誕生日はいつだった、死んだ日は何月何日だった、復活した日はいついつ、というようなことをマリヤと話したはずです。そのような重要な事柄に無関心であるはずが無いからです。
しかし、福音書には記述されていません。マルコ福音書は西暦60年ごろ、イエス様の死後、わずか30年ほどで書かれたものであるにもかかわらず、生没年や日にちの記述はありません。なぜでしょうか。
答えは簡単です。イエス様は架空の人、想像上の人物で実在しなかったからです。福音書は事実の記録ではなく、寓話なのです。
子どもにおとぎ話を聞かせるとき、「西暦何年の何月何日のこと」とは言いませんよね。「昔々のこと」とか「ある日のこと」と言って始めます。福音書も同じだということです。