キリスト教の問題点について考える

キリスト教の問題点について考える

伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

7という数字はなぜ良い意味を持つのか

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キリスト教と「7」という数字との関係について考えてみたいと思います。

本ブログには「聖書と数字」という過去記事があるのですが、

christian-unabridged-dict.hatenablog.com

同記事では「7」については言及しませんでした。聖書には、特別な意味をもって「7」という数字が出現しないと判断したからです。

次のカトリック教会のサイトでは次のように説明されています。

catholickawaramachi.kyoto

◆「7」
「7」は、聖書の中で最も大切な数で、完成、完全を意味しています。3は神の世界、4は自然を意味していますので、神の世界と自然の世界を合わせた完成が7ということです。7日目に神は天地創造の仕事を完成され、第7の日を祝福し、聖別され、1週間が7日となりました。聖書には7つのパン、7つの賜物など数多くの「7」という数字が出てきます。また秘蹟の数も7つです。

3は神の世界、4は自然を意味しているから、それらの和である7が完全を意味する、とあるのですが、ちょっとピンと来ないというか、すっきりと納得できるような説明ではないように思います。

次に、Wikipediaから「7」という項を読んでみましょう。

ja.wikipedia.org

神秘数7
自然数7を神聖なものと考え、そこには人間の力では計り知れない何らかの性質があるとする迷信を神秘数7という[3][4]。この迷信は現代の日本にも

七福神、七草、7人の侍、ラッキーセブン
といった言葉が見られるように世界各地に流布しているが、室井和男によれば、紀元前26世紀頃の粘土板にすでに

7つの神、7本の軍旗、7人の子を生んだ母、7匹の子羊
と書かれていることからも、その起源はシュメールにあるという。以下、 中村・室井 (2014, pp. 104–105) に従ってこの説を述べる。

シュメール人自然数7を特別視していたことは彼らが創り出した60進法と密接に関係している。60進法では1から6までの数の逆数は有限小数となるが、7の逆数は循環小数になる。彼らにとって7は割り算がやりにくい最初の自然数であった。「ギルガメシュとフワワ」という文学作品の中でも自然数7を特別に扱っている箇所があり、シュメール人は「7」において「普通でない」何かが最初に起こると考えていた。

自然数7を特別視する考えは占いと融合してメソポタミア全土に広がっていった。特に紀元前1千年紀の粘土板には

川で生まれた七賢人、プレアデス星団の七神、7つの知恵、7つの舌を持つ蛇、7人の伝令、七日七晩
など、神秘数7の実例がたくさん残されている。

シュメール生まれの迷信にまつわるこれら種々の表現は、古代ギリシャの文化、旧約聖書新約聖書を通して、形を変えながら世界中に広まっていった。

1週間が7日であることの起源もここにある。あるシュメール語の碑文には神殿建立の祝いとして奴隷たちに7日間の特別待遇が与えられたと記されている。7日を一区切りとするこの考えが聖書に取り入れられて、そこから世界中に広がっていったと室井は考えている。

もともとシュメールにあった「7」が神秘数である、という迷信が、ユダヤ教の経典である聖書にも取り入れられて、7日を一区切りにするという考えが発生したのだ、と述べられています。

この考え方であればすっきりと納得できると思います。そもそもシュメールはなぜ7を神秘的な数としたのかという問題が残っているようにも思われますが、この際そのことは問題ではなく、ユダヤ教という新興宗教がシュメーから伝えられた迷信をそのまま取り入れているのだという事実を知ることができれば充分だと思います。