キリスト教の問題点について考える

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ギルガメシュ叙事詩に見る洪水物語

grlucas.net

ギルガメシュ叙事詩」をごぞんじでしょうか。中学か高校の歴史の授業でならうのでしょうが、あまり鮮明には記憶できていませんでした。

ギルガメシュ叙事詩 - Wikipedia によれば、

ギルガメシュ叙事詩』(ギルガメシュじょじし)は、古代メソポタミアの文学作品。実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュを巡る物語。人間の知られている歴史の中で、最も古い作品[1]

とあります。成立は、

現在に残る最古の写本は、紀元前2千年紀初頭、書記学校の生徒たちによって書き写された、シュメール語ギルガメシュ諸伝承である。シュメール語版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性が極めて高いが、オリジナルは残っていない。おそらく文字に書きおこされる以前から口承などで伝えられており、叙事詩を構成する個々の題材は、シュメール時代には既に流布していたとみられる。

とありますが、聖書の創世記が紀元前550年前後のバビロニア捕囚期とされていますので、ギルガメシュ叙事詩は聖書より遥かに古い著作物です。

創世記にある「ノアの方舟物語」は、ギルガメシュ叙事詩の第十一の書板に記されている洪水の物語によく似ていて、これに取材して模倣したものであろうことは明白です。おそらく、創世記が成立したとき、ノアの物語を読んだ人々は、これがギルガメシュのパロディであることを即座に認識できたのではなかっただろうかと思います。バビロニア捕囚でバビロニアの文化に慣れ親しんだイスラエルの人々は、バビロニア語にも訳されて親しんでいたギルガメシュ叙事詩の記憶を、自分たちの新しい神話にも残そうと希望したのではないかと思います。つまり、オリジナルを僭称するつもりではなく、もともと公然とパロディとして著されたのだろう、ということです。

そのように考えると、聖書が示すもともとの価値は、現代の我々が感じる、即ち、キリスト教会が主張する価値とはずいぶん違ったものだったのかもしれませんね。

それでは、筑摩書房さんの「矢島文夫訳 ギルガメシュ叙事詩」から第十一の書板を、全部引用しますと長大ですので、要点を抜き取って引用しておきます。

www.chikumashobo.co.jp

(前略)

ウトナピシュティムはギルガメシュにむかって言った 「ギルガメシュよ、お前に秘事を明かしてあげよう 一〇 そして神々の秘密をお前に話してあげよう シュルッパク(2)の町は、おまえも知っている町だが エウフラテス〔の河岸〕に位置している それは古い町で、なかに神々が住んでいた 彼らは、大なる神々に洪水を起こさせたのだ

(中略)

二〇 彼らは彼らの言葉を葦屋にむけて叫んだ 『葦屋よ、葦屋よ、壁よ、壁よ 葦屋よ、聞け。壁よ、考えよ シュルッパクの人、ウバラ・トゥトゥの息子よ 家を打ちこわし、船をつくれ(3)

(中略) 

第〔七日目に〕船は完成した 〔その進水は〕なかなか困難だった 床板を上下に動かさなければならなかった 〔やっと船体の〕三分の二が〔水中に入〕った 八〇 〔私の持物のすべてを〕そこへ置いた 私の持てる銀のすべてをそこへ置いた 私の〔持て〕る金のすべてをそこへ置いた

(中略) 

私の持てる生命あるもののすべてをそこへ〔置い〕た 私は家族や身寄の者のすべてを船に乗せた 八五 野の獣、野の生きもの、すべての職人たちを(船に)乗せた

(中略)

六日〔と六〕晩にわたって 風と洪水が押しよせ、台風が国土を荒らした 七日目がやって来ると、洪水の嵐は戦いにまけた 一三〇 それは軍隊の打ち合いのような戦いだった

(中略)

海は静まり、嵐はおさまり、洪水は引いた 空模様を見ると、静けさが占めていた そしてすべての人間は粘土に帰していた 平屋根と同じ高さに草原があった

(中略)

七日目がやって来ると 私は鳩を解き放してやった 鳩は立ち去ったが、舞いもどって来た 休み場所が見あたらないので、帰ってきた 私は燕を解き放してやった 一五〇 燕は立ち去ったが、舞いもどって来た 休み場所が見あたらないので、帰ってきた 私は大烏を解き放してやった 大烏は立ち去り、水が引いたのを見て ものを食べ、ぐるぐるまわり、カアカア鳴き、帰って来なかった

(後略)

矢島文夫. ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫) (p.109). 筑摩書房. Kindle 版.