キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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人の三位一体性

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https://www.trinitydome.org/about/

 

過去記事「三位一体」では、神が3つのパーツからなる、という考え方はキリスト教のオリジナルではない、ということをご紹介しました。

今回は、Barbaroi! というサイトから「三相一体、三柱神、三位一体(Trinity)」という記事をご紹介します。一部引用してみましょう。

 太古の昔から太女神は概念的には三相一体であり、以後のすべての三相一体(女神だけから成る場合、男神だけの場合、両者の混合の場合を問わず)の原型であった。紀元前7千年紀のアナトリアの村では、若い娘・子どもを生む女性・老婆の三つの面を持つ太女神を崇拝した。この処女-母親-老婆という典型的な組み合わせは、インドではパールヴァティParvati-ドゥルガーDurga-ウマUma〔カーリーの三相〕、アイルランドではアナ-バブド-マハ〔モリガンMorriganの三相〕、ギリシアではヘーベーHebe-ヘーラーHera-ヘカテー Hekate、運命の三女神モイラたち、怪物の三姉妹ゴルゴンたち、海の三女神グライアたち、生誕・成長・衰亡の三女神ホーラたちなどであった。ヴァイキングの間では三相一体の女神は、運命の三女神ノルンたちNorns、ローマ人の間では、運命の三女神フォルトゥーナ Fortunaたち、ドルイド教徒の間では、ディアーナ・トリフォルミスとして現れた。「三相一体の女神」は三つ以上の姿、ときには数百におよぶ姿をとった。

 ローマ時代以前のラティウムでは、三相一体の女神は、ヨーニyoniと同語源のウニUni(「一なるもの」)という集合的名称のもとに、カピトリウム神殿に祀られていた三柱女神として崇拝された。この女神の三つのペルソナは処女ユーウェンタスJuventas、母親ユーノーJuno、賢い老婆メナルウァまたはミネルウァMinervaであった。ローマ帝国治下では、ユーウェンタスは追放され、男神であるユピテルJupiterが代わりに入った。現代の学者の中には、この後期の、2柱の女神と1柱の男神からなるカピトリウム神殿の三柱神を「三柱の男神」と呼ぶ者もいる。まるで女性2人と男性1人のグループを「3人の男」と言うがごとくである。

 次も興味深い説明です。

 中東には多くの三柱神の例があり、そのほとんどは元来、女神のみからなっていた。時が経つにつれて、三柱女神のうちの1柱ないし2柱は男神に変わった。一般に父-母-息子の形をとり、息子は救世主と考えられた。

 三柱神の概念は紀元前14世紀に、ハッティ族とミタンニ族から生まれた。紀元前5世紀のバビロニアでよく知られていた三柱神は太陽神シャマシュ、月神シン、星の女神イシュタルからなっていた。ギリシアでもこれを受け継いで、太陽神ヘーリオス、月の女神セレネ、星の女神アプロディーテーとなった。コストピトゥムで崇拝された父-母-息子の三柱神は、ユピテル・ドリケヌス、天上のブリガンティア、サルスの3柱であった。

 グノーシス派でも、三相一体(三位一体)の概念は同時代の東方の父-母-息子の型に倣い、聖霊を知恵の女神ソフィアを表すハトとみなし、コンスタンティノープルでは太女神として崇拝し、たいていのグノーシス主義者は神のシャクティShaktiと考えた。キリスト教の神は本来、ブラフマンーやディヤウス・ピターのような極東の天界の父を模したものであるが、天空神はすべて、女性的な源であるシャクティ(「神の妻」)を必要とした。さもないと彼らは行動できなかった[18]。それゆえ、三柱神の1柱が女神であることは神にとっても不可欠であった。アラビア人のキリスト教徒の間では、明らかに神-聖母-イエスの聖なる三柱神が存在し、エジプトの三柱神(ウシル〔オシーリス〕-アセト〔イーシス〕-ヘル〔ホルス〕)に代わりうるものとして等しく崇拝された。

いかがでしょうか。この説明によれば、キリスト教は、当時流行のいろいろな民族宗教が習合した結果であったことがわかりますね。

しかし、ミサとミトラス教の聖餐秘儀の類似性を指摘されると、「悪魔が未来から予め盗用していたのだ」というような奇想天外な言い訳を思いつくばかりか、真剣にそれを主張するのがキリスト教という文化です。この三位一体の件についてもなんだかんだと聞き苦しい屁理屈を並べて言い訳をするのでしょう。

それではここで、創世記を読んで見ましょう。

創世記 1:26-31

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

 神は、神自身に似せて人間を作った。そしてその結果「はなはだ良かった」つまり、とても良く似たものができた、と評価した、と記録されています。

おわかりでしょうか、神が三位一体であると言うのなら、われわれも我々自身の中に、三位一体的な性質を感じていなければならないことになりますが、実際にはそんなことはありませんよね。

三位一体は当時流行していた宗教における神の特徴であって、神といえば3つに分割するものだったのです。だからローマ国教となるべき新宗教の神も三位一体にした、ということに過ぎなかったわけです。

 私の中には父と子と聖霊がいる、と感じている人は、おそらく病気でしょうから診察してもらったほうがいいと思いますよ。