創世記を読んでみましょう。
創世記 12:1-2
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
神はアブラハムに、すべてを捨てなさいと命じます。そして、その通りに従ったアブラハムは、約束通り、神の民の根株となりながら大いなる祝福の基となりました。
次に、
という著作から引用してみましょう。
ヘブライ聖書によれば、ユダヤ人の始祖であるアブラハムは、ある時、「レハレハ」(すべてを捨てて新しい土地へ行け)」と、神から告げられた。父の土地を捨て、親から引き継いだ豊かな生活を捨て、全く新しい土地に行き、もう一度ゼロから始めなさい、と。同じところにとどまるのではなく、自分の場所を離れて、新たにすべてを始めることを神はアブラハムに命令したのである。「レハレハ」そのものは、「レッツ・ゴー」という意味だが、神の本意は「Let's go with everything left.」ということ。つまり「財産も土地も捨てて、身一つで新しいところへ行け」と神は言ったわけだ。
ユダヤ人は、聖書からこのような精神性を学び取っているのです。
引用を続けましょう。
何も失わず、楽して成功することなどあり得ない。ユダヤ人の子どもたちが、幼い頃から親に叩き込まれる「ノーペイン・ノーゲイン」は、「自己犠牲なくして成功は得られない」という、金銭哲学を超えた人生哲学なのである。 捨てる時期も重要だ。捨てる痛みが先なのである。まず大切なものを捨てよ、と教える。ゲインが見えてきたら捨てよう、ではダメなのだ。得るために捨てるのではない。捨てなければ道が開けないのだ。
捨てることをしないため、結局倒産した企業の例は多い。例えば、コダックはフィルム事業を失いたくないとしたためデジタルカメラの流れに乗れず、結局すべてを失って倒産した。ユダヤの教えは現代のビジネスに通用するのだ。
新約聖書ではどうでしょうか。読んでみましょう。
マタイによる福音書 19:21-22
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
おわかりでしょうか。福音書に記されているこの個所の意味は、ユダヤの価値観「レハレハ」に基づく発言だったわけです。新約聖書であっても、ユダヤの民族的な価値観を知らずには理解し得ない部分があるということです。実際には、タルムードを学ばずにイエス様の真意を識ることはできないのです。だから、イエス様は、イスラエルの家の失われた羊のためにつかわされたのだ、と発言したわけですね。
最後に同書からもう一箇所引用しておきましょう。
この「レハレハ」という言葉は、実際に別の新しい場所へ行けということではなく、自分自身の内面に深く入って、全く知らなかった新しい自分を見つけなさいということなのである。なんと示唆に富んだ言葉だろう。