というブログ記事を見つけました。引用してみましょう。
キリスト教徒が崇拝する「神」と「イエス」は、実際には古代の異教の神々の混合物である。「処女懐胎」、「岩の墓への埋葬」、「三日後の復活」、「聖餐」(訳注:いずれもキリスト教の教義)は実際にはイエスと何の関係もない異教の産物なのだ。キリスト教の儀式の全ては、人間が作ったものだ。キリスト教は数十の異教の上を転がって巨大化した雪玉であり、改宗者に受け入れられやすくするために、多くの異教の儀式や信仰を取り入れている。最近このような記事を目にすることがあるだろう。
キリスト教の体系に異教の痕跡があることは、否定できない。エジプトの太陽の円盤は、カトリックの聖人の後光になった。女神イシスが奇跡によって授かった息子ホルスを抱くところを描いた岩壁画は、イエスを抱くマリアの像の青写真である。そしてカトリックの儀式のほとんど全てが、それ以前の異教からとられたものだ。。
キリスト教にオリジナルのものは何もない。キリスト教以前の神であるミスラ(神の子、世界の光と呼ばれた)は、12月25日に生まれ、岩の墓に埋葬されてから三日後に復活した。ついでながら、12月25日はオシリス、アドニス、ディオニソスの誕生日でもある。ヒンズー教の神クリシュナは生まれたとき、金、乳香、没薬を与えられた(訳注:イエスは生まれたとき、東方の3賢人からこれと同じ物を与えられたとされる)。キリスト教の祝日すら、異教から盗用したものだ。
「キリスト教にオリジナルのものは何もない」とありますね。これは、日本で発生する新興宗教をみれば良くわかります。創価学会や立正佼成会は日蓮宗の焼き直し、天理教や金光教は神道のモノマネ、PL教や幸福の科学も何らかの既成宗教のモノマネに過ぎません。宗教というのは、何もないところから突然見慣れないものを持ってきても宗教としては認識されないわけです。神鏡や仏像、しめ縄がなければ誰も納得しない、要するに経済効果を生じさせることができない。キリスト教もそれと同じだったというわけです。
この記事(http://en.wikipedia.org/wiki/Jesus_Christ_in_comparative_mythology)は、イエス キリストがヘレニズム文化の他の神、特にディオニソスのパロディーであることが19世紀以来注目されてきたと指摘している。記事ではさらに、キリスト教とそれ以前に存在した宗教の、著しい類似を立証している。
キリスト教徒がこの事実を受け取るのは非常に困難だろうが、事実は事実である。キリスト教の「聖なる儀式」や、キリスト教の核となる考え(処女懐胎、復活その他)は、イエスの時代に存在した他の宗教から来たのだ。キリスト教の起源についての基本的な事実を理解すれば、その儀式や考えが馬鹿げていることは明らかだろう。
うまくまとまっていますね。その通りだと思います。