「始まりに向かって」というブログの『「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」・・パンとワインの味わい』という記事を見つけました。臼井隆一郎の「パンとワインを巡り神話が巡る」(中公新書)を紹介されています。同書から一部引用されていますので、ここでも拝借してご紹介させていただきます。
イエスは「神の子」である。
この時代に「神の子」を主張するということは当然、別の「神の子たち」との競争関係に入ることを意味するであろう。
「わたしが命のパンである」と言うイエスは、今まで見てきた食の英雄ヘラクレスやワインの神ディオニュソスとどのような位置関係にあるのであろう。(略)
イエスが神の子であるならば、はっきりと名前そのものが「神の子」(=ディオヌソ)と意識されるディオニュソスとの関係が問題になる。
イエスは12月25日に生まれたことにされた。 ディオニュソスの誕生日を踏襲したのである。
厩(うまや)に生まれたイエスのゆりかごは飼い葉おけであった。
飼い葉おけで眠る赤ん坊は他にもいる。
ギリシアのアテネからエレウシスに向かう儀式の行列の先頭には乳母に変装した男やディオニュソスの赤ちゃん時代のおもちゃを座布団に乗せて運ぶ人々がいた。
ディオニュソスのゆりかごであった飼い葉おけを運ぶ人もいた。
厩(うまや)で動物を従えて生まれ、飼い葉おけに遊ぶ幼子イエスは、エレウシス復活信仰の象徴というべき幼子ディオニュシスに酷似しているのである。
ディオニュソスは奇跡をおこなった。
イエスもワインの奇跡をおこなった。
4,5斗も入った水がめの水をワインに変えるのである。
イエスもディオニュソスと同じく奇跡を起こすことが出来るのである。
しかしディオニュソスをディオニュソスたらしめているのは、ディオニュソスみずからの受苦を介して、ワインそのものとなり、人に飲まれ吸収され、人と合体することによって、神とも人とも区別のつかない“バッコスの境地”を作り出すところにあった。
イエスがディオニュソスに匹敵し、それを凌駕する神の子の実を示すためには、イエス自らがワインと化すことである。
イエスが犠牲のワインそのものとなってわれわれの前に立ち現われてくるのは、イエスが地上の最後の夜をすごすゲッセマネの夜である。
翌日は逮捕、処刑されるという最後の夜、イエスは苦しげに言う。
「父よ、あなたはなんでもお出来になります。この杯をわたしから取り除けて下さい。」
イエスは自分を、生贄としてのワインを入れる献酒杯に注がれるワインに見立てている。
実際イエスは、踏みしめられ絞りぬかれるブドウそのものである。
場所はオリーブ山の麓のゲッセマネ。
ゲッセマネとは油搾り器のことである。
イエスは言う。
「わたしは命のパンである。」
「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はいつでもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」
「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もまたわたしによって生きる。」
こうしたあきらかに食人を思わせる言い回しは、やはり驚くべきことである。
動物の血を飲むことはユダヤ人には禁じられている。
ましてや人間の血を飲むなどもっての他である。
パンを裂き、ワインを飲むことで暗示される、肉を引き裂き、血をすするという事態を含む神話の圏域はディオニュソスの圏域であろう。
それは巨人や信女に八つ裂きにされ、食いつくされるディオニュソスの再現以外の何ものでもない。
イエスにはパンの供養(エレウシス)、ワインの生贄(ディオニュソス)、小羊の屠り(ユダヤ)のそれぞれが等しく見られるにも関わらず、一つ類を絶した構造がある。
倶犠には、倶犠に献げられる聖なる犠牲獣と、共同体を代表して倶犠を献げる聖なる祭司が不可欠であるが、
その両方を、イエスと言う一人の人間が担っていることである。
イエスはみずから圧搾され飲まれるワイン、引き裂かれ分配されるパン、そしてほふられる小羊の三重の生贄であると同時に、
その生贄儀式が聖書に書かれた通り成就するために、式の進行を完全に取りしきる祭司である。
そしてイエスは、動物倶犠の手順を踏んでいるのである。
過去記事「神の類似」でも、キリスト教が色々な宗教の寄せ集めであることが証明されている、ということをご紹介しましたが、今回は豊穣とワインの神、ディオニュソスがキリストのモデルだったのだ、と説明されている著作のご紹介ですね。
日本でも、神前には米と塩、水に加えて酒を供えます。酒の神には奈良県の大神(おおみわ)神社、京都の松尾大社など、神社としても古くから存在するものがあって、大神神社の、山そのものを神体とするようなものはとても古いものだと言われています。
動物倶犠という形式は日本には見られないようですが、これもユダヤ教のオリジナルではなくて、中近東からヨーロッパ、アフリカなどに見られた一般的な様式だったようです。吉川英治の三国志には、中国にも同様の宗教儀式があったことが記されています。
キリスト教は、次々に証明者を惨殺し、証拠を隠滅しましたので、あたかもキリスト教の様式が世界で唯一無二であるかのように感じている人が多いわけですが、実際にはそんなことはありません。宗教に関するアイデアなんて、大概ありきたりのものにすぎないのだ、ということなんですよ。