日本では、プロテスタント教会においては、マリヤ崇敬は一切行われていない、と考えられているようです。礼拝堂や、その他教会内のどこにもマリヤ像などはありませんし、カトリックや正教のようなマリヤに関する祈祷が行われることもありません。
しかし、海外ではそうでもなさそうです。例えば、英国国教会では、聖堂内にマリヤ像を安置して崇敬を行っていますし、下のような、マリヤに関連する特別な組織のようなものも存在します。
また、トップの画像を引用したサイトにある通り、メソジスト教会にもマリヤ崇敬があることがわかります。
「プロテスタントにおけるマリヤ観」というWikiの記述から、「神の母」と題された部分を引用してみましょう。
神の母の称号は、431年エフェソス公会議で承認された。これはネストリウス派に対するもので、この称号は頻繁に非カルケドン派、正教会、ローマ・カトリックの典礼で用いられる。
ルターは述べている。
私たちは神がマリアによって神性を与えられたのでないことを知っている。しかし、この神はマリアの子として生まれた。マリアは神の母である。
しかし、プロテスタントにおいて「神の母」の語は論争の的であった。カルヴァンはその語の「迷信的な」用い方について深い憂慮を表明した。他方、新正統主義のカール・バルトはローマ・カトリックの聖母マリア神学を強く批判する一方でマリアを「神の母」と認めるなど、プロテスタント内に様々な見解がみられる。
しかし、そもそも プロテスタント教会とは、カトリック教会を批判するために発生した教会であるわけですから、カトリックの行き過ぎと思われる態度に対しては同調しません。マリヤ崇敬に関しても、無原罪の御宿り、聖母の被昇天、仲介者マリヤ、共贖者マリヤなどの理解に関しては認めていないのです。
このように、海外、キリスト教の本場、と言われる地域においては、プロテスタント教会であっても、礼拝堂内にマリヤ像を配置するなどして、マリアを崇敬することがそれほど珍しいことではないのに、日本国内では、それが全く無いことであるかのように考えられている事には理由があると思います。
すなわち、「日本キリスト教団」の存在です。日本キリスト教団は、日中戦争のさなか、日本政府の圧力によって、国内のプロテスタント諸教会が合同させられた、という経緯があって成立した団体ですが、Wikiの説明にある通り、カルヴァン系統の教会や、ルター派、聖公会の一部、メソジストやその流れ、組合教会、メノナイトの系統など、教義が異なる様々な教会が一つに纏められてしまいました。その結果、多数派であった、マリヤ崇敬を一切おこなさないカルヴァン主義の方向性へと向きを合わせられた、という状況だったと思います。
結果として、マリヤ崇敬に関する習慣は払拭されてしまったので、日本では、プロテスタント教会といえば、マリヤ崇敬をしない、むしろ批判する、というイメージになってしまったのではないかと思います。