イエス様の像、というと、上のような碧眼紅毛、というとちょっと古い表現ですが、要するにヨーロッパ型の男性、青い目で長髪の、長い髭を蓄えた人物を思い浮かべます。
上の、BBCのサイトでは、
このおなじみのイエスの像は、実際には 4 世紀以降のビザンチン時代のものであり、ビザンチン時代のイエスの表現は象徴的なものであり、それらはすべて意味に関するものであり、歴史的な正確さではありませんでした。
ローマのサンタ・プデンツィアーナ教会の祭壇のモザイクに見られるように、それらは即位した皇帝のイメージに基づいていました。
と説明されています。(※引用は、原文をgoogleの翻訳機能で日本語に翻訳した文章です。以下も同様です。)
また、ギリシア神話の主神、ゼウスの容貌からも影響があったと考えられることや、ヒッピーの文化から、イエス様の造形に影響があったことなどの説明があります。
また、実際のイエス様の容貌についての考察として、当時生きていた一般的なユダヤ人の姿、ドゥラ・ユーロポスの 3 世紀のシナゴーグの壁に描かれたモーセの姿のことなどが紹介されています。
そして、EARTHLY MISSION の次の記事を御覧ください。
一部引用しましょう。
更新: どうやら(情報を提供してくれたジェイソン・マクニールに感謝) この物語には別の角度 もあるようで、The Holy Prepuce によると、白いイエスはチェーザレ・ボルジアをモデルに している可能性があるそうです。
その理論は、カトリック教会が定期的に行っているユダヤ人やイスラム教徒の虐殺に対して、 彼らが殺している人々がイエスに似ていたため、人々は一般にあまり熱心ではなかったという ものである。その後、教皇アレクサンデル6世は、セム族のイエスを描いたすべての芸術品の 破壊を命じ、白人のイエスを描いた数多くの絵画を注文した。 彼の息子、 チェーザレ・ボルジ ア枢機卿がこれらの絵画のモデルとなった。こうして、ボルジア家の中で最も意地悪な人物 が、今日キリスト教徒に崇拝される象徴的な白人のイエスとなった。
教会にあるイエス様の聖像が、実際通り中東の人物を表現していると、十字軍の兵士が中東でアラブ人やユダヤ人を見たとき、教会にあるイエス様の聖像と同じ顔なので、神を殺すような気持ちになって、殺せなくなってしまうのだが、それではだめなので、聖像をヨーロッパ人風にかきかえてしまったのだ、と説明されています。
キリスト教の神は、戦争の役に立つよう、色々と改良を重ねられてきたのだ、ということのようです。