キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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からし種とパン種と天国

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福音書で、イエス様は天国をからし種とパン種にたとえておられます。読んでみましょう。

マタイによる福音書 13:31-34

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。

天国が、からし種やパン種のように、小さなものが成長して、あるいは膨らんで大きくなるようなものである、というたとえは、天国を、神が用意した死後の世界である、と理解しようとする限り、わかりにくいですよね。

この箇所について、「トミーの聖書理解」というブログサイトの「マタイ13:31-33 からし種とパン種の譬え」という記事で、ウェスレアン聖書注解の記述が紹介されていますので見てみましょう。

 この個所は大きく二つの解釈が可能であると思います。
それをウェスレアン聖書注解より抜粋要約すると、
 “①第一の解釈は伝統的なもので、教会歴史の初期のころからのものである。
エスはここで、教会の二重の成長を述べておられることになる。
からし種のたとえでは外面的な成長を、
パン種のたとえでは内面的な霊的成長・・・を表している。

 ②第二の解釈は近代になってからのもので、
からしの木の大きな成長は、世界を支配しようとしていた背教の教会の外面的な伸展を表している。
「空の鳥」は、教会の様々な分野において高い職権の地位についた人々である。
パン種は、教会の中に入り込んだ異端の教えを象徴しており、それによって教会は腐敗してしまう・・。”

エス様は、聞いている人々に少しでも理解しやすいように、たとえをもって話をされたのだと思うのですが、外面、内面だとか、背教とか異端だとか、そのような、日常の生活からかけ離れた、特殊な事柄を理解させるために、わざわざこの話をしたとは思えないです。

次に、同志社女子大のサイトの、近藤十郎先生による「からし種とパン種の話」という記事から「たとえ話の意味と真理」という節を見てみましょう。

からし種は、当時知られていたすべての種のうちで最も小さなもののひとつです。その微小なる種が、いったん地に蒔かれるとやがて信じられないほどの大きさに成長して葉を茂らせ、空の鳥が葉の陰に巣をつくるほどになる、という話です。パン種も同様。イースト菌酵母)のことですが、粉を膨らませるのに大量のパン種は必要ありません。ほんの僅かなからし種によって、3サトンの粉を膨らますことができる、というのです。今日の度量でいえば、およそ40リットルにあたります。どのような真理がこのたとえ話のなかに秘められているのでしょうか。物量的な尺度に振り回されて自分を見失いがちな人間の世界を、イエスは時代の人々と共に、またそのような時代にあって厳しく批判している、ということでしょうか。そのような批判は現代に生きる私たちにも同様に、当て嵌まるのではないでしょうか。

「物量的な尺度に振り回されて自分を見失いがちな人間の世界を、イエスは時代の人々と共に、またそのような時代にあって厳しく批判している、ということでしょうか。」と纏めておられるのですが、「天国はこのようなものである」、と言って語られた譬えであったのですから、その意味が批判だったのだ、という結論には、なるほど、と納得できないところがあるように感じます。

なぜこのように、この箇所に関する解釈を探すと変なものばかり出てくるのかと言いますと、天国とは死後の世界のことである、と決めつけて、イエス様の発言をそのような前提に無理やり当てはめようとするからです。

エス様のこのようなたとえを、教会の利益といったような奸計抜きで考えるのであれば、天国とは、人々の努力によって、今生きているこの世界上に展開されるべき理想の状態であることを説明する言葉である、と理解するべきなのです。

ひとりひとりがイエス様のアイデアを理解し、実践する、その、人ひとりの力はからし種のように小さくて、パン種のようにはっきりとは目に見えないほどの微力であるかもしれないが、皆で力をあわせれば、パン生地が大きく膨れるように、からしの枝が大きく張って、やがて鳥が止まるほどの大きさに成長するように、この地上に神の国を建設する、という目的を果たすことができるのだ、と説明しているわけです。

いかがでしょうか、正しく理解するためには注釈書が必要だったでしょうか、読んだそのままの意味ですよね。イエス様は物事を暗号化するためにたとえで語られたのではありません。そのまま、素直に理解すればそれが正しい場合がほとんどだと思います。すなわち、少なくともイエス様の考える天国は死後の世界のことでは無かったのだということです。

なぜ「ウェスレアン聖書注解」のような注解書が必要なのか、それは、聖書はそのまま素直に読んでしまうとキリスト教組織の利益に反してしまうからです。