キリスト教の原理主義的な一部の教派は、進化論を否定して、世界の創生は聖書の創世記に記されているとおりに、神によってなされた、と考えているのだそうです。
上に引用したサイトから引用してみましょう。
アメリカ全国の生物学教師を対象にしたアンケートでは、こんな結果が出ています。
アメリカ人の4割が進化論を否定しているという調査結果がありますが、住んでいたのがアメリカ南部という保守的な土地だったこともあり、わたしの周りでは7割ほどの人が進化論否定派でした。
やはり宗教的な背景が強く影響しているようで、プロテスタントのほとんどが進化論に否定的。
よくあることですが、あまりアタマの良くないクリスチャンの人たちは、聖書に比喩や文学的表現があるということを知ろうとしません。会議の議事録のようなものだと理解しようとしているようです。それで、聖書には「進化」という言葉が出現しないのだから進化論は認めない、ということになるのだと思うのですが、僕は別にそれがいけないことだとは思いません。それぞれ自由ですし、アメリカの学校がどのように教育の方針を決めようが、議会制民主主義による決定であるのであれば、それらを尊重すればよいのです。
ただし、ちょっとおかしいんじゃないの、と思う点はあります。進化論は現代の科学の成果が示す一つの仮説であるわけですが、それだけが独立していきなり存在するわけではありません。数学、物理学、生物学、医学、薬学、理学、工学といった、様々な分野の研究結果が関連して導き出した、総合的な考えである、と言うことができると思います。
つまり、電気、電子、モータリゼーションといったような科学の成果がもたらす恩恵には浴するくせに、なぜ進化論だけを違うと言い張るのですか、ということです。聖書に反するから、と言うのであれば、聖書には電気利用についての説明はありません。パソコンやスマホからSNSを楽しみながら進化論を否定したところで、チョコレートケーキを貪りながら砂糖の毒性を説明しているようなもので説得力というものが生じませんよね。
進化論を否定しても説得力が失われない人、といえばアーミッシュぐらいなものなんじゃないでしょうか。