キリスト教の問題点について考える

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フェミミズムとキリスト教

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www.dailymail.co.uk

フェミニズムキリスト教に関連性は無いだろう、と思っていました。キリスト教の根幹を成すのは男尊女卑であって、聖書にもそのことが明確に示されているからです。読んでみましょう。

テモテ前書 2:9-15

また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。 

気持ち良いぐらい、バッサリと女性を差別していますね。

しかし、世の中には「フェミニスト神学」というものが存在するらしいのです。見てみましょう。

ja.wikipedia.org

引用してみましょう。

女性の視点からの神学的批判は19世紀末のエリザベス・スタントンにまで遡ることができる。スタントンは、『女性の聖書』(1898年)を著して聖書の中の女性差別に注目し、「これは神の言葉を聞きまちがえた男たちの言葉である」と言い切った。

普通は、少しでも間違いがある文書は、それ全体に価値が無い、と判断すべきだと思うのですが、聖書の中の女性に対する男性の評価だけが間違いである、と、理解しようとしているわけです。そんな奇妙奇天烈、奇々怪々なことが世の中にあるでしょうか。

話は変わるのですが、フェミニストといえばT女史を思いだしますが、彼女には非常に優れたところがあると思います。他の誰よりもよく声が通る、という点です。声質も良いのでしょうが、発声も優れているのでしょう。他の誰かが彼女の発言を抑え込もうと割り込んで成功したところを見たことがありませんし、彼女が割り込みをかけて失敗したところもみたことがありません。これほど罵り合いに適した声の持ち主はなかなか他にはいないと思うのですが、惜しむべきことは、その論点が今ひとつはっきりしないこと、さほど重要とは思えないことです。