キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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福音派原理主義者の聖書理解

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今回も、前回記事と同じ、ノアの箱舟に関する同じ記事の話題から、前回と同じ箇所を引用してみましょう。

 世界は神が6千年前に6日間で創造したと信じるハムらのグループは、建設費約1億ドルを信者の寄付で賄った。同紙によると、建設に関わった従業員には「信仰の声明」にサインをさせ、教義に同意しない人や同性愛者は雇用しなかった。さらに、人工中絶賛成派、無神論者、同性愛者などの「悪」が「蔓延」する現代については、

「世俗化が進む今日は、まさにノアの時代に似通ってきている」(ハム)

 と同紙に語っている。 

世界が6000年前に創造された、という箇所については、ちょっとあまりにもどうかと思いますので、論外ということでそっとしておくことにして、問題は

人工中絶賛成派、無神論者、同性愛者などの「悪」

 という考え方についてです。

 

まず、「人工中絶賛成派」が悪である、という考えですが、これは十戒に「殺してはならない」という一条があるので、人工中絶は「殺す」ということなのだから即ち「悪」である、ということになっているのだと思うのですが、十戒の「殺すな」は、何が何でも絶対に殺すな、という意味ではありません。

モーセの十戒「殺してはならない」は、全ての殺人に当てはまるのではない~出エジプト記20章から - アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

というサイトにもありますが、この一条は、

この「人を殺してはならない」という個所は、旧約聖書出エジプト記20章13節に記載されているが、英語では"murder"と翻訳されており、これは明らかに不法に人を殺害したこと指す。また、聖書の原文のヘブル語では、「ラツァック」という言葉が使われ、これは人が故意に、又は計画的に、不法に人を殺害した場合だけを指している。

とある通りの意味です。

エス様は、オリブ山での変容において、ご自身が「律法」そのものであり、「預言」そのものであることを示されましたが、安息日に麦畑で麦の穂を摘んで食べて、新約下の世界では、旧約の律法にとらわれず、民衆の叡智の中に生きている神の恵み(それぞれの国によって定められた法)によって律しつつ生きていきなさい、と言われているのです。

「人工中絶は悪」という決めつけは、これからは律法に縛られるな、という指導に反していることはもちろんなのですが、仮に十戒を守りたいと考えているとしても、その元々の本意を見誤っていることになるでしょう。それぞれのケースによって理由があるのでしょうから、ひとくくりにしてどれもこれも悪、と決めつけることは、正しいこととは思えません。

 

次に「無神論者」が悪である、という考えですが、例えば、

マタイ 9:13

わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである

マタイ 18:12-13

あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。

などをみれば、イエス様からみて招いていない義人が、無神論者か原理主義者のどちらであるのかは明白だ思います。無神論者が罪人である、とか従わない一匹である、と言っているのではなくて、原理主義者の、自分は間違っていない、すでに救われた特別な存在(義人)である、というような高慢な考えが「アンチキリスト的」である、ということなのではないでしょうか。

また、マタイ 8:5、マタイ 15:21 などを読んだことがあれば、イエス様は異教徒を嫌っていたわけではなく、むしろ、異教徒に教え、その可能性の大きさを評価している、ということが言えるはずです。無神論者を「悪」だと断定することは、いかに福音書を理解していないか、また親しんでいないか、ということの証明であるかのように思います。

 

最後に「同性愛者」が悪である、ということについてですが、これに至っては、聖書のどこをひっくり返してもそんなことは一言も書かれていません。

といえば、バカなことを言うな、はっきり書いてあるではないか、と思われたでしょう。次の箇所のことでしょうか。

レビ記 18:22

あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

しかし、この文章のどこに「同性愛者は犯罪者」だという示唆が含まれているでしょうか。これで同性愛者を断罪せねばならないのであれば、

レビ記 18:17

あなたは女とその娘とを一緒に犯してはならない。またその女のむすこの娘、またはその娘の娘を取って、これを犯してはならない。

という文章を読んで、異性愛者はそういうことをすることができるはずなので、全ての異性愛者は犯罪者だ、と言っているのと同じことだと思います。

そう言うと、私は異性愛者だがそんなことはしない、と思われた人もいるでしょう。同性愛者も同様だと思いますよ。同性愛者だからといって全部が全部誰彼となく性交渉を行うわけではないでしょう。レビ記は、淫らな性交渉を行うことを禁じているのであって、性的傾向が同性愛か異性愛かを問題にしているわけではない、ということです。

福音書を読んで、イエス様が示された法と預言に関する考えを理解することができたのであれば、「同性愛者は悪」などという非福音的な発想は行えないはずです。

 

いかがでしょうか、「人工中絶賛成派、無神論者、同性愛者などが『悪』である」としか理解できない「福音派原理主義」の人たちが信じているものは「キリスト教」であるとは言い難いでしょう。しかし、キリスト教プロテスタントといえば、一般的にまず頭に浮かぶのは「福音派原理主義」です。残念ながらそれが現実です。