キリスト教の問題点について考える

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伝統的教派プロテスタントの元信徒が運営するキリスト教批判ブログです

なぜ偶像崇拝がダメなのか

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tabicoffret.com

十戒では偶像を礼拝することが禁止されています。見てみましょう。

出エジプト記 20:4

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。

とありますね。確かに、偶像を礼拝することが禁じられているように見えます。では、偶像崇拝はどういう理由で禁止されているのでしょうか。

偶像崇拝に関する、説教を含むいくつかの論説をネット上で検索して読んで見たのですが、偶像崇拝を行う事によって生じる具体的な弊害について言及しているものは全く存在しませんでした。そのほとんどは、

『真の神で無いものを拝むことになるから』

という理由で禁止されているのだ、と説明しているのですが、そうするとどうなるのかは説明されていません。知りたいのはそのことです。だから、なぜ偶像崇拝がダメなのか、を教えてほしいわけです。

偶像を崇拝すると自律神経が冒されて呼吸ができなくなって死んでしまうのか、あるいは脳の細胞が破壊されて廃人のようになってしまうのか、または犯罪とみなされて告訴されるのでしょうか。「殺すなかれ」はこのためでしょう。あるいは犯罪とまでは言わなくても、精神性が汚れてしまうからでしょうか。「父母を敬え」はこの問題に触れるかもしれません。では、偶像を崇拝するなとは何のためになのでしょうか。

仏教を例に挙げて考えてみましょう。仏教は本来仏像を礼拝する偶像崇拝ではないのですが、仏教徒の中には仏像が神だと考えている人がいるかも知れません。ですから、この際かんたんのために仏教は偶像崇拝である、と仮定しましょう。それで、仏教徒は全員偶像崇拝者になるわけですが、具体的に、どのような報いを得てしまうと言うのでしょうか。仏教徒キリスト教徒よりも何が劣っているのでしょうか、また、キリスト教徒はどのような点において仏教徒よりも優れているのでしょうか。

京都に住んでいますと、毎朝路傍の石仏に花を手向け、今日も一日、どうかこの地方が平和でありますように、と、素朴な祈りを捧げる人々の姿を見るのですが、牧師が講壇の上から口を捻じ曲げながら、他の宗教や教派の悪口や皮肉を言うのを聞くよりはよほど大きな神の恵みを感じることができると思います。

偶像崇拝がダメと教わりながら、あいつの家は偶像崇拝だから家族全員地獄逝き、などとクソゲー感覚で他人と接することしかできなくなってしまう、キリスト教の教えというのはそういう反社会的なものなのではないでしょうか。

偶像崇拝上等じゃないですか。なにが悪いんですか。偶像崇拝を禁じる反社会的集団よりも、偶像崇拝者のほうが精神的には上流にしか見えません。

なんてことをいうと、大抵の自称非偶像崇拝者たちはこう言います。

『死んで地獄に堕ちてから後悔するなよ。』