Wikiに「キリスト教徒による宗教的迫害」という項があります。キリスト教と迫害とを組み合わせて考えるときは、ほとんどの場合、キリスト教は迫害される側として取り上げられがちですが、実際には、死刑囚が処刑されたことをクローズアップしているようなものであることが多いのではないかと思います。
今回の記事では、上記Wikiの記事から、「迫害の事例」の内容をピックアップしてご紹介しようと思います。ぜひ、Wikiの全文をお読みください。
古代ギリシャ信仰への迫害
テオドシウス1世によりキリスト教がローマ帝国の国教になった後にはかつてキリスト教を迫害していた古代ギリシャ信仰の信者は逆にキリスト教徒によって迫害され、5世紀までにはキリスト教への強制改宗などにより根絶させられた。
非主流派への迫害
中世カトリックは非主流派を「異端」と決め付け、死か改宗かを選ばせる厳しい迫害を行った(一方で、正教会等の他のキリスト教諸教派では異端の殺害は行われていないとされているが、実際には、ロシアに伝わっていた正教旧来の信仰を守り改革を拒否した正教古儀式派の初期の指導者であるアヴァクームとソロヴェツキー修道院の修道士たちなど、主流派正教会に破門され殺害されたものも存在する。現在に至るまで、正教圏においても宗教的少数派に対する迫害は継続的に存在している)。
イスラム教への迫害
キリスト教はイスラム教徒にたいしても厳しい迫害を行ってきた。歴史的経緯によりイスラム教はキリスト教の「異端」とみなされたため、イスラム教徒はキリスト教原理主義者からすさまじい憎悪を浴びせられた。
先住民の諸宗教に対する迫害
大航海時代が訪れると、キリスト教の司祭達は、アフリカやアジア、アメリカ大陸、オーストラリアなどに軍事力を伴った宣教を開始した。ヨーロッパ白人は、全ての先住民を「野蛮人」と断定し、自らの「先進的な」文化やキリスト教を広めて回った。
アフリカ黒人の諸宗教に対する迫害
アフリカ大陸を征服したキリスト教諸国は、アフリカの土着信仰を「邪教」「悪魔の教え」と断じ、宣教師団などを用いてキリスト教への改宗を促す政策を推進した。
ヒンドゥー教に対する迫害
イギリスのインド統治の期間中、もしくはそれ以前のヨーロッパ諸国によるインド南部の支配においてキリスト教の宣教師たちは盛んにヒンドゥー教を「邪悪」であり、「偶像崇拝」以外何もない空虚な教えであるとして激しく攻撃し、その存在価値を認めなかった。
仏教への迫害
ベトナムでは、ベトナムのカトリックによって仏教徒が迫害される仏教徒危機が発生した。
日本における諸宗教への迫害
日本におけるキリスト教は1549年のフランシスコ・ザビエルとイエズス会(耶蘇会)から始まり、戦国大名の中には南蛮貿易での利益を求めて自身がキリシタン大名となり、キリスト教を優遇するものも現れた。
その過程において、一部のキリシタン大名とキリスト教信者によって、領内の神社、寺院が焼かれ、僧侶が迫害されるという事例が存在した。ただし仏教徒の大名の領土では、逆にキリスト教徒が迫害されていた事例も存在した(原因の一つにキリスト教が他宗教を「悪魔の教え」と見なしたことによる対立がある。アフリカにおける例を参照)。
この神道、仏教に対する弾圧とポルトガル商人によって行なわれていた日本人奴隷の貿易を宣教師達が黙認していたことを名分として、豊臣秀吉はバテレン追放令を発し、キリスト教への圧迫が強まった。ただしこの段階ではまだキリスト教自体は禁止されてはいなかった。あくまで宣教行為を禁止し、外国に売られた日本人を連れ戻すようにとの命令であり、すでにキリスト教徒となった日本人に対して棄教を迫るものではなかった。
思想・科学への迫害
カトリックは信仰と相容れない科学的な考えや、それらに影響を受けた無神論的な思想の持ち主を「異教徒」「異端」として迫害を加えている。
415年に修道士らが女性天文学者のヒュパティアを殺害した際には、指示したキュリロスがその「功績」を讃え、教皇レオ13世により「教会の博士」として聖人の列に加えられている。