聖書には、人が食べてもよいものと食べてはいけないものの規定があります。みてみましょう。
レビ記 11:1-
主はまたモーセとアロンに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。岩たぬき、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。野うさぎ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである。
この後も46節まで、細かい指定が続いています。おそらくは衛生的な問題、そして、異教徒の習慣に染まらないために、このような規定が定められたのでしょう。
この規定はユダヤ教徒のためのものであって、キリスト教徒はこれを墨守する必要はありません。使徒行録にはエルサレム会議において、次のような結論を得たと記録されています。
使徒行録 15:29
偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。
しかし、この決まりもけっこう厳しいですよね。日本の農業は神社との結びつきが大きいですから、ほとんどの農作物は「偶像に供えたもの」であることになりそうです。特に米は、天皇が年に一度、新嘗祭を催して全国の米作のために八百万の神に祈りを捧げているのですからアウトです。
また、こちらは「血のソーセージ」ですが、これもアウトっぽいです。
日本産の米を食べて生きているキリスト教徒や、血のソーセージが好きなキリスト教徒は、その理由で地獄行きが決定だということになりますね。新約時代になって異邦人信者が増えてきたので規定を緩和したにも関わらず、それさえ守ることができない、というのであれば罪は深いはずです。
さて、時代遅れな馬鹿げた宗教タブーの話はともかくとして、現代社会における本当の食物禁忌は「砂糖」である、というべきでしょう。糖尿病、がん、胃腸病、筋肉や神経の疾患、うつ、代謝障害など、様々な病を引き起こす原因でありながら、なぜ、「砂糖は危険だよ」という狼煙があがらないのでしょうか。
また、精製塩よりは岩塩や海水塩を使おう、ということはよく言われるようですが、上白糖やグラニュー糖ではなくて黒砂糖や和三盆を常用しましょう、という声が上がらないことも不思議です。
「砂糖 毒性」などのキーワードで検索してみれば、色々とヒットしますので試してみてください。」
当サイトからもリンクさせていただいている、秀和さんのサイトでも詳しく説明されています。
そして、「精神の砂糖」ともいうべき、毒性の強い嗜好品が何かといえば、間違いなく「キリスト教」でしょう。この世で失敗したとしても、「正しいキリスト教徒」でありさえすれば、死後、神が報いてくれる、という釣書で人を「死に体」にしてしまいます。
人間らしく生きていきたいとお考えであれば、守るべき心の食物禁忌は「キリスト教」という宗教である、ということをお忘れなく。