キリスト教の問題点について考える

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キリスト教徒は何を信じているのか

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キリスト教徒はなにを信じているのでしょうか。神でしょうか。では、神を信じるとは一体どのようなことなのでしょうか。「神を信じる」とはつまり何でしょうか。神が実在する、と思い込むことでしょうか。しかし、確認せずになぜそう思い込めるのでしょうか。そして、仮に実在したとして、信じるとは何のことなのでしょうか。

「信仰」というあやふやな事柄について、それは何かとか、何故かと深入りしても仕方がないことはなんとなくわかるのですが、この際少し考えてみましょう。

「私は神を信仰している」と考えているキリスト教徒の方は、一度よく考えを整理してみてください。あなたが信じているものとは一体なにですか、神が実在するということですか、それは正直なところ、いるかいないかわからないからですよね。

キリスト教徒のみなさんが信じているものとは、実際のところ、神や神の教えではなくて「教会の方針」なのではないでしょうか。しかも、偶然入信した教会の、その方針を信じているに過ぎない場合がほとんどでしょう。

教会が「イエス様は神様だ」と言っているからイエス様は神様なのだろう、教会が「マリヤ様には原罪がなかった」と言っているからマリヤ様は無原罪だったのだろう、これが「信仰」の正体です。

そして問題は信仰の保存方法でしょう。「神」の実体があやふやなので、それに追随するところの「信仰」という概念もまたあやふやです。それゆえ、「信仰している人」たちは、自分の信仰を少しでも強健なものにするために、他人の信仰を中傷するのです。そちらの信仰は間違っていてこちらの信仰は正しい、というわけです。

それでは、再び問いますが、信仰とは何ですか。

  • 「神が実在する」と思い込むことですか。
  • 「人間は生まれつき犯罪者だ」と思い込むことですか。
  • 「イエス様が代わりに殺されたので人間が赦された」と思い込むことですか。
  • 「死んだら天国か地獄で転生する」と思い込むことですか。

まとめると、信仰とは「自分の頭で考えることをやめようと決心すること」となるでしょうね。