2010年1月21日のAFPニュースの「米軍のライフル照準器に聖書示す刻印、イスラム団体らが激怒」という記事から引用します。
【1月21日 AFP】(一部更新)イラクとアフガニスタンに駐留する米軍が、ケースにキリスト教の聖書の箇所を示す刻印が入ったライフル照準器を使用していることが分かり、米国内のイスラム教徒団体などが20日、強い怒りを表明した。
この照準器の製造会社トリジコン(Trijicon)と、米陸軍および海兵隊が、80万個を超える同照準器の納入契約を結んでいることが明らかになった。
(中略)
AFPが写真で確認したところでは、問題の刻印はヨハネの福音書8章12節を符合化した「JN8:12」で、この箇所には「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです』」という言葉が記されている。(c)AFP
この記事でおかしいと感じるのは次の表現です。
米国防総省のダリン・ジェームズ(Darryn James)報道官は、「決定が真実だとすれば、明らかに不適切。改善措置を検討する」と述べた。
おかしな話です。なぜ不適切だと言うのでしょうか。キリスト教国であるアメリカの軍隊が、神の名に拠る軍事行為のために用いる軍備に、神の言葉を刻み込むことの何が不適切なのかわかりません。それが「正しいこと」であるのであれば、武器を神の言葉で修飾することは適切なことであるはずです。兵士には仏教徒やイスラームも在籍するかもしれませんが、大統領就任に際しては聖書に手を置いて宣誓し、国立の大聖堂を有するキリスト教国アメリカのお話なのですから、そこは許されるべきなのではないでしょうか。
聖書から問題の箇所を見てみましょう。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
しかし、なぜこの箇所が引用されたのかがよくわかりませんよね。武器が世の光をもたらすという暗喩なのか、それとも戦争を礼賛しているのでしょうか。別の記事、
によれば、
トリジコン社は創業以来、時計の文字盤などにも用いられる放射性物質のトリチウムを利用し、暗い環境でも照準用の点が見えるようにしたスコープを製造しています。
とあり、また、
光に関する節が多く選ばれていることから「異教徒を滅ぼせ」というより、会社のモットーと「いつでもどこでも光り続ける」という同社製品の特徴を聖書の引用で表すという意図があるように思えますが、
とあるところをみますと、結局、聖書を利用して自社の特色を宣伝しているだけということなのかも知れません。
ま、いいんじゃないですか。戦争で儲ける武器製造会社が宣伝のために聖書の記述を利用するのは、お互い似たもの同志、同じ血の匂いを感じるからでしょう。目くじら立てる必要は無いと思いますよ(笑)。