キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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重荷を担う者の休息とは

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マタイ伝11章に、有名な「重荷を担う者の休息」という件があります。見てみましょう。

マタイ伝福音書 11:28-30

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

なんという甘美な慰めでしょうか。借金返済で苦しんでいても、人間関係の軋轢に苦労していても、イエス様の教えを学んで理解さえすれば、全部チャラにしてくださるのだ、と言っているように聞こえます。

たとえば、

www.hanamaki-christ-church.jp

というサイトでは、この箇所の意味するところを、つぎのように纏めておられます。

 私たちは生きている限り、何らかの重荷に出会わざるを得ないのかもしれません。生きている限り、心配事、思い煩いは尽きないことでしょう。ある課題が解決しても、また新しい課題に直面してゆくことでしょう。
 疲れた時、重荷にあえぐ時、その都度、私たちは「休んでよい」のだということ。神さまの愛の中で、心ゆくまで「休んでよい」のだということ。そしてその愛の中であなたが自ら、再び立ち上がろうとするとき、主が「共にその重荷を担ってくださる」のだということを、ご一緒に心に刻みたいと思います。 

つまり、何らかの外的要因によって生じた重荷から、神様が解放してくださるのだ、ということが説明されている、という理解ですね。

しかし、借金は、なんとなく、いつの間にか消滅するようなものではありません。少しずつであろうと、利子を含めて全額返済するまではなくなりません。また、人間関係のいざこざも、合理的な具体策を講じるまでなくなりはしないのです。何を信じようと信じまいと、それは同じことです。

でも、この箇所を読むと、イエス様の教えを学べば重荷がなくなると書いてあるよ、と思われるでしょう。もう一度本文を読んで見ましょう。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

これは、実際には、次の様に解釈するべきです。

私の教えを聞いて理解し、すべての余計なもの(欲望)を捨て去って、それらから解放されなさい。 

つまり、重荷とは、神が超自然な力で魔法のように無くしてくれるのではなくて、好んで背負い込んだ重荷を負っているもの自身が、自分で捨て去るものだよ、ということを言っているわけです。