キリスト教の問題点について考える

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キリスト教が「呪いの宗教」であること

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新約聖書の、福音書は論理部分を、書簡は実践方法を示唆するところの文書であると言われます。

しかし、例えば、

マタイの福音書 9:20-22

するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。 

この箇所では、女性の望みとその働きによって、神の恵みの現れと述べ伝えが実現されうることが説明されているのですが、コリント人への第一の手紙 14:34 に、

婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。 

とあるのは、福音に対する正しい実践が示されていないように感じます。また、

マタイによる福音書 5:43-48

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 とありますが、ガラテヤ人への手紙 1:8 には

しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれるべきである。

 とあり、イエス様の理念に反する実践方法が示されているのです。

「のろわれるべきである」ということばの元語「アナテマたるべし」について、

ja.wikipedia.org

では、

アナテマ(ανάθεμα, anathema)は、「聖絶」「奉納」「滅ぼす」「捧げる」「殺す」「呪われる」「呪われたものとなる」などと訳されるギリシア語の言葉。聖書で、ヘブライ語「ヘーレム herem」の訳として七十人訳聖書から使われた。アナフェマとも。 

と説明されています。

上に引用したマタイによる福音書 5:43-48でイエス様は、世の中のどのようなことであれ、永遠普遍に正しくあり続けるようなことはあり得ない、と教えています。それが正しいと思っていても、反対意見があればその内容にも真剣に向き合ってみるべきなのでは無いだろうか、と言っているわけです。

しかし、ガラテア書では、反対者は即刻「のろわれる」と言って排斥しているのです。実際、冒頭に引用した通り、ヤン・フスは火刑によって殺されています。

今でも「あいつは悪魔だ」とか「お前は悪魔だ」なんてことを平気で言うクリスチャンは案外たくさんいます。アナテマの精神は正しく伝承されているようですが、イエス様が伝えたかった真理は反故と消えてしまったようです。

しかしこれは無理もないことです。書簡にはすでに間違いが書かれていた、つまり、新約聖書にはイエス様の指導に反する実践方法が記されているわけですから。