キリスト教大辞典

キリスト教の問題点について考える

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「犠牲」の進化とキリスト教の矛盾

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申命記の次の記述をお読み下さい。

12:29あなたの神、主が、あなたの行って追い払おうとする国々の民を、あなたの前から断ち滅ぼされ、あなたがついにその国々を獲て、その地に住むようになる時、 12:30あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。 12:31あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。

「神に犠牲を捧げる」という考えは、世界中どこにでもあるようです。日本の神社にも賽銭箱がありますが、賽銭も神に捧げる犠牲の一つであると言えるでしょう。日本でも有力者が死んだときには、人間を生きたまま副葬していた、ということがあったようですが、時代が下がると、土器で代用するようになります。「埴輪」ですね。

人間を、生きたまま神に捧げる、ということは、最も原初的な方法だったのでしょう。聖書では、しばしば言及されていて、その方法による犠牲の実施が禁じられています。他の箇所も確認してみましょう。

申命記 18:10

あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。 

列王紀下 16:3

彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。

列王紀下 17:16-17

彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。

歴代志下 33:6

彼はまたベンヒンノムの谷でその子供を火に焼いて供え物とし、占いをし、魔法をつかい、まじないを行い、口寄せと、占い師を任用するなど、主の前に多くの悪を行って、その怒りをひき起した。

 他にもまだあります。

 

しかし、そんなことを繰り返していては人口が減少してしまいますし、そうそう簡単に生命を扱っていたのでは、倫理観も低下して、社会性が向上しません。

そこで、もうそういう犠牲の方法は止めにしなさい、犠牲を捧げるのであれば、動物をもって人に代わるものとし、以降は人間を殺して捧げてはならない、と律法で定めたわけです。

おわかりでしょうか。それなのに、神自身が望んで、真の人間でもあるイエス様の生命を犠牲として受け入れるはずが無いのです。三位一体であるというのであれば、

「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。」

という、戒めに、自ら進んで反してしまうことになってしまうわけですからね。

ちゃんと聖書を読んでいればすぐにわかるはずだと思いますよ(笑)。